1月14日(土)
寒い一日でした。
ツアーに参加して、飛鳥古墳めぐりに行ってきました。
身を切るような風にさらされての屋外の見学は、ちょっとつらいものがありました。
キトラ古墳。
墳丘が二段になっている円墳です。
キトラ古墳といえば、石室天井の天文図が有名です。
天井東の斜面には金箔で太陽が、西の斜面には銀箔で月が描かれています。
平坦面には、中国式の天文図が描かれていますが、
現存する本格的な中国式星図としては、世界最古のものらしいです。
4つの壁面には、青龍・朱雀・白虎・玄武の絵が描かれています。
通常、本物は公開されていませんが、
昨年の秋には、南壁・西壁・天井図の特別公開があり、
今月の22日からは、北壁の特別公開がある予定です。
ただし、事前申し込みが必要で、すでに締め切られているとの事。
残念でした。
その後、高松塚古墳に行きました。
壁画館には、石室内部の壁画の発見当初の現状の模写と、復元の模写とが
展示されています。
北壁に玄武。東壁に男子・女子それぞれ4名ずつの人物像・太陽と青龍。
西壁にも男女それぞれ4名の人物像・月と白虎が描かれています。
おそらく南壁に描かれていた朱雀は、盗掘に遭ったとき、盗掘口によって
破壊されてしまったようです。
キトラ古墳も、高松塚古墳も過去に(おそらく)一度、盗掘を受けていますが、
高松塚古墳の方のお話では、おそらく同一人物だろうということでした。
盗掘されたのは、(たぶん)、鎌倉時代。
盗掘自体が、もうひとつの歴史ですね、とおっしゃっていました。
また、両古墳ともほぼ、同時期(7世紀末~8世紀初め・古墳時代末期)
に築造された古墳ですが、この頃になると、薄葬するようになってきています。
ごちゃごちゃといっぱい副葬品を入れないのが主流です。
高松塚でも、副葬品として見つかったのは、太刀と鏡、あとガラス製品と玉ぐらいです。
太刀の部品には銀箔がほどこされているので、
被葬者は、天皇に次ぐ高い身分の人だと思われます。
天皇なら、銀ではなく金が使われるのだそうです。
なので、皇子とか皇太子クラスの人だったのでしょう。
お昼ご飯をたべたあとは、石舞台に行きました。
蘇我馬子の墓だとほぼ断定して間違いないお墓です。
なんか、雰囲気ありますね。
石舞台というからには、満月の夜にこの上できつねが踊るなんてイメージが
わいてきそうです。
もともとは、この上に土がかぶせられていたそうです。
ということは、石室がむきだしにはなっていますが、
円墳か方墳か形は不明ですが、古墳だったということですね。
変な形のお墓だと思っていましたが、それで、納得できました。
石舞台の中にはいってみました。
一番大きな石で、70トンあるそうです。
おっと、忘れてました。
お昼ご飯です。ミルク鍋。ここでは、飛鳥鍋と言っています。
飛鳥寺へ行きました。
当時の大権力者蘇我馬子の創建です。
といっても、建物ではなく、この飛鳥大仏(釈迦如来)が当時の築造です。
止利仏師によってつくられた日本最古の仏像。
地元明日香村の人々によって、大切に守られてきました。
かつては、覆う建物がなくて、野ざらしだった時代もあるそうです。
面長のお顔・高いお鼻 日本人離れしたお顔立ちですが、
インドのお釈迦さんはきっとこんなお顔でいらっしゃったにちがいなと思います。
飛鳥時代の仏像の特徴です。
このあと、橿原の今井町を見学して帰って来ました。
奈良では、雪もちらつく程度で、たいしたことはなかったのですが、
京都に帰ってくると、積もっていました。
今回訪れた場所は、すべて初めての所でした。
たぶん、少なくとも古代史の勉強を趣味にしている方だったら、必須訪問場所、
それだけ、メジャーな場所だと思います。
知っていて当然の場所です。
スタート地点に立ててよかったです。