1月29日(木)
朝鮮時代の衣服(特に女性の)を展示しているというので、
京都市北区にある高麗美術館に行きました。
地下鉄烏丸線「北大路駅」で降りて、北西の方向へ約20分。
東西・南北の道路が、直角に交わっているので、
ほんと、京都の道は助かります。
方向ド音痴のわたしでも、ほぼ迷子になったことがない。
今回の展示は、墓地などから出土された衣服を、正確に復元したものがほとんど。
だから、きれいだし、こわくない。
有名なご仁が処刑されたときに着ていた衣服(実物)とか見せていただくことがありますが、
いくら歴史的価値が高いとは思っても、わたしはちょっと苦手なんです。
朝鮮は、高麗時代までは仏教立国だったので、埋葬は火葬でした。
李氏朝鮮時代に入って、儒教が国の根幹に置かれるようになり、
埋葬の仕方も土葬に変わったようです。
普通、埋葬方法は、土葬から火葬に変わるんだと思ってましたが、
朝鮮では逆だったのですね。
しかし、李氏朝鮮時代の衣服が資料として残っているのは、土葬だったおかげなのですね。
同じように見えるチマチョゴリでも、時代の変遷によって微妙にデザインが変化しています。
韓流時代劇を思い出しては、「そうか、朝鮮初期やからチョゴリの丈が長いんやな」とか、
「身分の高い人が着る唐衣って、こうなってるのか」と見入ってしまいました。
高麗美術館、今回初めて訪れました。
というより、この美術館があることすらも、不学にして知りませんでした。
個人の方のコレクションがもとになっている美術館です。
もう二十数年前にお亡くなりになっていますが、鄭詔文氏。
在日1世の実業家の方です。
6歳の時に、植民統治下の朝鮮から両親と共に京都に来られました。
小学校には3年通っただけ。ずいぶんご苦労されたようです。
分断されている祖国には絶対に帰れない、という信念のもと、
亡くなるまで祖国には足を踏み入れなかったそうです。
その強い望郷の思いが、この美術館を作る原動力になったのでしょう。
1700点あるコレクションのほとんどは、朝鮮の人たちが実際に使っていた
日常の道具です。
陶磁器・台所用品・箪笥・屏風・化粧道具・石像・仏像など、集めている物は
ばらばらですが、使っていた人たちの息吹の感じられるものです。
小さな美術館ですが、創始者の強い願いが伝わってくる美術館でした。