うちの長男が先月、中学校を卒業しました。一人一人、卒業証書授与されるために名前がよばれます。
それで時々、名前を呼びあげられてすぐ
とばされて次の子の名前がよばれるんです。
息子にきいたら、それは不登校の子だ、ということがわかりました。
クラスに1人はそんな子がいる、というような印象を受けました。多いところは3人くらいいました。
ああ、私みたいな子なのかなぁと思った。
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私も、不登校だったから、学校にいけない子の気持ちがとてもよくわかります。
ただ、ずっと学校を欠席していたわけではなくて。
中学校2年生のときから、朝起きられなくなって朝起きるとすぐお腹がいたくなって、学校に行く時間になるとずっとトイレから離れられなくて、遅刻しちゃうのね。それで、遅刻したときに朝自習の時間に行くと恥ずかしいから登校はいつも業間休みが終わって3時間目と決まっていました。
不登校になったきっかけは
「オ●ニー女」とあだ名をつけられバカにされて
無視されたり、笑われたりしたことがきっかけだったかな。
なぜそうなったかというと友達(と思ってた人)と下ネタの話になったときに、私、オ●ニーしてるって言ってないのになぜかそういわれるようになってしまったと思います。エロいと目立つし、エロいのが悪いっていう固定観念がありました。そういうムードがあったし、そういう女子がモテていた。みんなが、エロに対して過敏になってた、中学生ってそういうものかなと思います。
あとは、片思いだった人に告白してそれでフラれて学校に行けなくなった記憶があります。そのときはわりとフランクな気持ちで告白したりするんだけど、片思いの人に嫌われるって中学生の私にとっては一大事で、世界が終わるような感覚でした。
それから、テストがとても苦手だった。葛藤が多くて、勉強に集中できなくて、テストがものすごく怖かったんです。
大人になった今、何そんなことで?と自分でも思うけれど
でも、中学生って自意識過剰だから、それをとても恥ずかしいことに感じたんだよね。他人の目を気にして、イイ人に思われたくて、それでどうしようどうしようってなって、メンタルを消耗してしまい、学校に行くのがとても苦しくなりました。
中学生は狭い世界の中で、あのクラスの教室の中が世界のすべてっていう印象。クラス替えは3年間で1度だけしかないし、3年間同じメンバーが毎日毎日顔を合わせる。
大人の世界は、いやな人がいたらそのコミュニティを離れるっていうこともできるけれども子供の世界はそう簡単にできません。
なんとなく、出会った人となんとなく仲良くできて、なんとなーく過ごせる人は元気でいいよねっていつも思ってました。友達同士で、何の疑問もなくツレションいったり、いつもいつもベタベタベタ一緒にいる女子特有の人間関係に何の疑問も持たない人たちばかりでした。それに何の疑問も持たずに生きられていいよなあ。そして、疑問に持たない人とは一緒にいたくないっていうはっきりとした線引きが欲しかったんです。
でも、心の中で排除しようと思ったり、考えないように考えないように、と思うほど、その嫌いな人の顔が思い浮かんできて、消えなくて苦しかったり。
そして、私には私の世界観があって、なんとなーくではいたくないこだわりがありました。私の世界をわかってくれる人と過ごしたかったけど、私が嫌いなことを好きな人が多くって、それに辟易してたのもあったり。
女子ってとにかく陰口、人のうわさ話、テレビで見たあんなことこんなこと、自分に都合の悪いものは視界に入れたくない。でも、入ってきてしまう。
あと他にも理由は、私の好きなものやことを理解できそうな人がいなくて、そして自分にも自信がなくて。だれかに認められたくて。認められたいっていう気持ちが一番大きいね。自分はひとりぼっちだと思い込んで、寂しいと思ってた。
傷つくのが怖かったので、傷つかないようにどうしたらいいか?って私なりに考えて出た結論は「もういっそ変な人になろう!そして、鈍感になろう。」っていう結論だった。
でも、自分認められたいという気持ちと誰かとつながりたいという気持ちと、そんな二律背反な感情が私の中で常に葛藤している状態でした。
両親にも不安な気持ちをどう伝えていいかわからず、不安な気持ちを自分で持て余していました。
一番身近な親にでさえ、何が不安か、不安な気持ちを打ち明けることができないので、私は自然と自分の世界の殻に閉じこもっていくようになりました。
誰かとつながりたいという気持ちはあっても、しょせんそれは自分にとって都合の良い人だったのかな、と今になって思います。
自分のことが好きで、自分の好きなものやことを共有できて、でも自分にとって不都合な世界や言葉は受け入れたくない、という甘えでした。
しかし、その甘えはだれかに受け止めてもらう必要があった、その甘えは親でもなく、友達でもなく、私のことをわかってくれるなと「自分が思える誰か」に出会えたらよかったのに、と今でも思います。
もしもあのときの自分に、手を差し伸べるような言葉は何か?と考えて言いたいこと・・・・
学校の勉強よりも、自分の世界を確立することをしなさい。あなたは何が好きで何が嫌いか明確にしなさい。自分がどんな人間なのか自分で自分のことをよく知る努力をしなさい。お父さんお母さんはそのとき関係ありません。そして自分の良いところを100個書き出しなさい。書き出せないなら、自分が少しでも得意だと思ったことを何度でも何度でも繰り返しやりなさい。1度で成功すると思ったら大間違い。何度でも何度でもやりなさい。朝昼夜関係なくやりなさい。それがあなたのやりたいことなら、まずはそれをやってから。そのうえで、勉強が必要なのなら、勉強しなさい。必要がないなら、やめて旅に出なさい。学校にいくより旅に出るほうが今のあなたにはマシです。あなたの居場所は学校の狭い教室ではないかもしれない。そして、一人で生きるということにどれだけ責任と大変さがあるのか、体験しなさい。だれかに何か決断することを頼ることが今までどれだけ多かったか身をもって知るでしょう。それぐらい何かをやる覚悟を決めてやってみてから世界に絶望しなさい。そして、時々頭痛がして、お腹がいたくなって動けなくなったら、動きたくなるまで寝なさい。寝るのに飽きるまで寝なさい。もうこれ以上は時間の無駄だと思えるまで寝なさい、何もしない廃人になりなさい。自分を変える覚悟もないのに、世界に絶望するのをやめなさい。誰かとつながりたいなら、出会うまで探すのをやめないこと。私と合う人なんていないよ、と自分に悪口を言うのはやめなさい。世界は言葉で創られている。自分で自分に言った悪口ほど誰もきいていなくて、自分を動けなくさせている原因なのだから。つまりは、学校なんて行かなくていい。親も完璧じゃないんだよ。未熟なんだよ、アンタが正しいことのほうが実は多いから大丈夫。