今日の記事は長いですー
いろんな人に言われます。
ゆりんごさんてブレがないよね
流されないよね
自分軸が強いよね
どうしてそこまで自分を保てるの?
なんでそんなに自由なの?
よく質問されます。
今、私は妊娠をきっかけに転職し
みんなからの嫌われ者のテレアポの仕事をしています。
私のことそんなによく知らない職場の人からもいわれました(^-^;
ゆりんごさんってブレないよね、ってね。
出勤してから退勤までずっと元気で声がかわらないそうです。
どんなひどい文句いわれてもかわらないよね、ってね。
コンパニオンのアルバイトをしていたときも
宴会でゲロ吐くとか
セクハラだらけでわがままとか
酒癖が超のつくほど
最悪なお客がいても
平然としていて凄いと
同僚から言われたことがあります。
セクハラでいちいち
私はどうのこうのと騒ぎません。
私実は子沢山で
タレチチで
体系崩れてますが何か?
という感じです。
(そんなことはあえていいませんけれどw)
なぜだろう。
恐らく私のコミュニケーションはコミュニケーションではなく
一方通行なものだからだと思います。
自分のやり方が当たり前だと思っているので、特に自分軸がどうとか考えたことありませんでした。
が、他の人にとっては
物事に動じない
堂々としている
ふつうはできないよ
と、言われます。
それで私の
「自分軸ができあがるまで」
を振り返ってみました。
私が自分軸でブレない原点は
他人と同じことをしたくないとか
多数派に埋もれたくないとか
アートの世界で生き残るためとか
自分は自分であるとか
学生の頃から
カッコ良くいうと
アイデンティティの研究を
していたからだと思います。
とにかく人と同じがイヤで
制服とか校則で均一化されている
学校という制度にさえ
反骨精神で常にいました。
他人と自分をくらべて
均一化に馴らされているような
多数派でそれになんの疑問も
もたないような人種の人たち。
そんな他人の素行にウンザリした
辟易の感情からすべては始まりました。
はじめは小学校高学年あたりから始まった女子特有の人間関係にウンザリしたことから始まりました。
私はそういう人間関係に全く違和感の感じないクラスメートたちをみて
「こうはなりたくない」と境界線をつくることから始めました。
しかし境界線をつくると今度はそういうふうに
「私が私らしくいられなくなるお試し」
みたいなことが沢山起きました。
それが、シカトだったり
仲間はずれだったり
嘲笑だったり
陰口たたかれたり
学校に馴染めなくなって
不登校になっていきました。
学校の人間でマトモな人はいないと決めつけ
胃が痛くなったり
体が重くて朝起きられなかったり
過敏性大腸炎で
頭痛が酷くて
よく寝込んでいました。
それでも、全員が敵じゃなくてなかよく出来る人もいましたよ。
生まれつき健康ではありますが生まれストレス耐性が強かったわけではないです。
そういうことを乗り越えるためにひたすらやったのは
自分が好きなものに毎日囲まれた生活をしました。
嫌いな人や耳が痛くなる言葉はすべてシャットアウトしました。
これが、良かったかどうかはわかりません。
でも、シャットアウトしても繰り返し私の頭の中で悪い言葉が聞こえてきました。
でも絶対にああはなりたくないとこっちからお断りでした。
そんな葛藤から唯一解放される
唯一のストレス解消方法は
部屋に籠もって日記をかいたり
音楽が好きなので、毎日お気に入りの音楽をきいていたりしたことでした。
今とあまり変わりませんw
そのうち嫌われるのが当たり前になったので
そういう人たちにご機嫌をとることや権力に媚びる人たちをみてさらに呆れて
嫌われるのが当たり前の世界なら何やってもいいだろうっていうので
【私は変な人】と思い込むようになりどんどん心を閉ざしてきました。
それ以来、私は他人の心理を逆なでする天才になりました。
どうやったら嫌われるなんて考えなくても、嫌われる行動がすぐに出来るようになりました。
空気はあえて読まない知らないふり
この人がイラッとすることは何かな
他人から嫌われることに安心するようになり、嫌われる行動をして、
「あ、また嫌われたか、やっぱりね。」
というふうな安心感を得るような行動ばかりするようになりました。
今考えると、それで自分を守っていたのだと思います。
それでも
一部の友達以外にも
学校以外のコミュニティが私にはあり
学校以外での友達がいました。習い事のお友達です。
だから完全に孤立していたわけではないと思います。
今考えると自分で自分を傷つけていましたが
ピアノを弾いたり音楽をきいて癒やされました。
幼児期からずっと一緒のお友達だったので
そこで健全な自分を保てたことは幸いだったと思います。
時は経ち。
ウンザリするような学校生活を卒業しても
今度は母親同士のコミュニティでウンザリしました。
自分と10才以上年の離れた大人が
まだそんなこと話してるの?と
大人になっても女子高生レベルの会話しか聞こえてこないような会話ばかりでした。
幼稚園や児童館や小学校という
受動で出会う人間関係では
いつしか諦めの気持ちを持つようになり
かかわらないようにしました。
でもずっとつきまとうのが
何で私って、コミュニティになじめないんだろうってことでした。
好かれたいのに
好かれたくないという
二律背反の世界で
長い間生きていたと思います。
幸い、母親の付き合いは
中学高校ほど親密に
毎日顔を合わせる
ということもなかったので
自動的に引きこもりになりました。
それで、20代始めに引きこもりになり、ネット依存症になりました。
リアルの世界で満たされないので
隠したいところは都合よく隠せる仮想現実の世界でしか生きられなくなりました。
今のブログのスタイルは良くも悪くも
そのころ出来上がったものです。
ちなみにこのブログは4つ目です。
私が書きたいように自由に書いたことで絶賛してくれたネットで出会った人たち。
私のブログのことを面白い!と
ほめてくれた人たちは
意外にも高学歴で
裕福な生活をしてる人
という印象でした。
私のことを一般人と呼んでいたりw
趣味が高尚で学術的
ゲームセンターやカラオケに行ったことない
牛丼やカップラーメンは食べたことない
五経は暗記している
(五経とは儒教のお経みたいなものです)
六法全書が全部頭に入っている
このビル全部うちの会社だよと
写真を見せてくる
子どもの頃の夢は将軍だったとか
こっそりと
自分の家系のルーツは
こうなんだと耳にして
びっくりするような家系の人
もいました。
理想の人になる方法は?と相談すると
ヒトラーの我が闘争とか7つの習慣という本を勧めてきたり
お金持ちになるために勉強すべきことは?ときくと「20世紀の資本論」という本を薦めきたり
主婦がそんな専門的な本を読めるか!
とツッコミたくなるなるような
空気の読めなさのレスポンス。
しかし
比較的地位も
生活水準も高い人たちが
いつも話題にすることは
明らかに
今まで出会ってきた人たちとは違う
という感覚がありました。
変なところはあるけど
フレンドリーで
自分に自信があって
気前がよくて
学ぶことが沢山ありました。
聡明で私よりも広くて大きな世界を知っている人たちが私のことを素晴らしいと何人からも絶賛されたことは、励みにもなり、自分は自分でいいんだと自信がもてるようになりました。
ネットという仮想現実で
沢山の老若男女と
出会って
会話して
淘汰されてまた
自分は自分
これでいいんだ
というものが強く
出来上がっていったように
思います。
それから、しばらくして
あな吉手帳の人たちと
出会いました。
手帳ユーザーはみんな
子育てで忙しいのに
やりたいことをあきらめないで
日々の家事に前向きに取り組んで
家族思いで
素敵な人たちばかりでした。
明らかに
今まで出会ってきた
母親たちとは違う
という嬉しい気持ち
そう言うの印象でした。
私自身も子育てや家事ふりまわされて
本当にノイローゼになってたので
あな吉手帳を使うことで
自分が1人の女性として
自分らしく生きられる
そんなきっかけを作れたと
思っています。
あな吉手帳も使い倒せるようになるまで
時間はかかりました。
でも、手帳で人生が変わったのは確かです。
主婦が自分軸でいられるために、あな吉手帳は欠かせないものだと思っています。
今の私の自分軸のつよさは
このように
20年ぐらいかかって
出来上がったものです。
だから、強みというよりも
あきらめないで地道に
自分の追求を
継続した結果
なのだと思っています。
意外と過去をぶっちゃけたね、私w
このブログを読んで
何か拾えることがあれば
幸いです。