もしも私のような生き方を日本の女性が皆したら…この国の少子化問題が完全に解決すると思う。
その理由はいくつかあるのだが
「子宝に恵まれること(自然流産もない)」「安産の秘訣」「産めない理由を乗り越えて中絶を絶対にしない」
私の場合は、ごくふつうに子供が欲しくて…じゃなく言葉悪く言うと
いらないのに出来たっていう気持ちでした。全員。
「妊娠も予定外」「妊娠したところでお金もない」「しかも初産が10代」
っていう、今の日本の風潮なら「もう無理だよね?」と出産を諦める理由の三重苦を人が驚く位の回数乗り越えてきました。
乗り越えるために、できることはすべてしてきたし、実家の両親はじめたくさんの人のお陰様があったので、今の幸せな生活があります。
私なんて…専業主婦でお金もコネも地位も何もないわ!とネガティブのかたまりだったのが、こんなに目に見えない財産あったわっていう感じ(笑)
まあ、能ある鷹はなんちゃらっていいますから←
というように、ゆりんごには目の前に出産費用がなくても妊娠して産もう!と決めた途端、お金がどこからか入ってきたり、今までかかっていたお金が必要なくなったりで、トラブルもなく母子共に元気に妊娠中を過ごせるっていう特技があります。
それから、こうして来る者拒まずで自分がやりたいやりたくないそういう都合関係なく起こった出来事はすべて受け入れる、そして受け入れたらあとは全力を尽くすということが心から出来るようになりました。
自分が欲しいものがそのまま、自分の魂が求めていることじゃない場合がある。それは、人間の知恵を越えているので、自分ではわからないこともある。
日頃からいくらダイアモンドがあっても、それを持ってることに気がつかないとないのと同じなんですよっていうワタナベ薫さんの本のどこをアナタ読んでたの?っていうね。
で、これこそがカントリーさんのいう私にとっての「獲れ過ぎた魚を分けられるもの=起業」だと思いました。
それで利益が発生しようとなかろうとやはり私にとっては起業です。
正直、私にとっては当たり前すぎてこのことは財産ともなんとも思ってませんでした。
排卵日だとかタイミングだとかそういう「アタマで考えたsex」をせずにやりたいと思ったときにsexして特に何もなく出産するとか
五体満足でごはんを好き嫌いせずに食べる子供がいることも当たり前すぎて当たり前すぎて…
気付いていない自分がいました。
だって、子供産んで育てるって普通すぎるし誰でも出来てるし…取り立てて特別なことは何もないわけ。
でも、誰かが「外で仕事をするよりも育児のほうがよっぽど大変
」と言ってるし、子供が好きで欲しいと思って妊娠して産んだ人でさえ「育児が辛い、大変だ」という世の中。
ゆりんごの場合は、今子供が欲しくないのにできた
(あくまでも自分の都合上今妊娠したのは困るっていうだけ。sexするのに子供はいらないっていう自分勝手な考えはありません)
だから育児は大変で辛いのは当たり前だという前提があるので
(今は子供が好きだし、育児も大変じゃないし辛くないです、楽しんでます)
好きなことをそれなりにしてきてお金もあって、子供欲しくて産まれてそれで大変だ、辛いって言う親に対して疑問に思うことが時々あります。子供を一人産んで育てるってそれぐらいの覚悟が必要でそれをわかったうえでの子供欲しい、産むなんじゃないのかしら。
その昔
まだ仙台に引っ越して来る前に、地元にいた頃
「今回こそは中絶しよう」
と思って、一度だけ、産科のない婦人科のドアをくぐりました。
そこは地元でも人工妊娠中絶の手術がうまい、と評判の病院でした。
下は中学生から、上は50代まで、年間200件の施術例があるそう。
ということは…ほぼ毎日その病院では人工妊娠中絶の手術が行われている、ということです。
年齢別に見ると、多いのは10代と50代。
この理由はなんとなくわかるよね?
経済力がない10代と、体力や健康面に自信のない50代っていう感じ。
勿論理由はこれだけじゃなくて、世間体とかも含め妊娠を継続出来ない理由はたくさんあるわけで。
あのど田舎でさえ、この件数。全国規模なら年間24万件。妊婦100人がいたら、そのうち22人は中絶しているという。妊娠した女性5人に1人が中絶している計算です。
一方で、不妊のカップルは夫婦10組いたら1組は不妊っていうこの事実。
中絶に関していえば、報告されない事例(小学生)も含めると全国津々浦々で今日も闇から闇へと葬られる命があるわけです。
それから、時々お母さん同士で話を聞くのが3人目をあきらめるとかそうじゃないとか。
子供がすでにいる人でも、「3人目は予想外だった」という人が多い印象を受けます。
そして場合によっては中絶という道へ…
中絶しようと決意を固めるために、人工妊娠中絶の動画や実際にどういう手術の流れなのかも見たり調べたりしました。
もう、見てるだけで怖くて怖くて…
私はその時、「これから人を一人殺すんだ」っていう鬼に変わるためになる努力をしました。今考えるとそれは、自分らしくない間違った努力でした。
そして、例の婦人科で診察。
もう、そういう病院って、ドアを入った瞬間に感じるものが私はあったんです。
病院自体、いつも私は行くと凄く疲れていつも帰ってくるんです。肩重いなーとか気持ちも凄くどんよりして。
でも、その病院は今考えてもほかの病院の比にならないぐらいの私にとっては「何か違う」という空気でした。
そのときの、私のメンタルの状況もあったとは思いますが…病院入って3秒で「2度と行きたくない」空気を感じました。理屈じゃなく、直感で。
あんなに固く決意したのに、実際に行動したらやっぱりできない!と思いました。
あの時の私は10年後にこんなに子供が増えているとは思いもよらなかったですね!
さて、そうしてゆりんごがひとりで悩んできたように、実際にお母さん同士で夫婦の愛情生活の話とか、不妊とか、中絶の話ってなかなかしないですね。
今でこそ少しずつblogで公開したりしていますが、昔は誰にも相談できずに引きこもっていました。
昔、夜回り先生として有名な水谷修先生の本を読みました。
そこには、こんなことが書いてありました。
「夜の街で援助している子や、シンナー、万引きしている子、そういう子も勿論悩んで苦しんでいるんだけれど、外に出て何かしてる子はまだ元気だし、その行動自体がSOSの信号を出してるからわかりやすいし、そういう子には仲間もいるし、大人の目に触れる機会があるのでそんなに心配していないです。私は、本当に悩んで苦しんで誰にも助けてとも言えない子は、家の中にいると思います。」
あ、これ私のことだって思いました。
そして、子どもに限らず助けてって言える人より、助けてって言えない人のほうがきっと多いんですね。
でも、大人になったら自分で助けてって言わないと誰も気づかないし、大人だからますます言えなくなるときもあるんだろうし。気づかれたとしても触れられることがない気がします。
私も時々そういうほかの人の信号に気づくことあるんですが…そっとしておきます。
皆きっとそういうもんだよね。
自分から言ってどうにかなることでもないし。その人にやる気がなければそもそも余計なお節介だし。
そう考えるとゆりんごは短気だから、どうにかしたい!とすぐ思う。モヤモヤを放置しておくのが大嫌い。すぐに何かしら行動してたからまだ元気なほうでしたね。
だいぶ結論が迷走してきた感じだけれど、つまり専業主婦でコネも地位も権力もなくても、探したら誰も持ってないお宝があったんで、びっくりしたっていう今日の話。
それが、いつかほかの人にも役に立てる時が来たらそれは面白そうだと思ったのよ。
それがどんどん広がって国の少子化が解決したらいいのにね!
ただし、子宝とか安産とかそういうキーワードを掲げて女性を支援するという肩書きを持ってお金をもらうことは考えていません。
そういうのは飽和状態にあると思うし。
今までと違うのはゆりんごの獲れすぎた魚を今までは誰にあげて良いのかわからなかったし、(欲張りの意味でじゃなく)て分けるつもりもなかったし、そもそも欲しい人なんているのかしら?と思っていたんですが
最近何気なく発言したゆりんごの一言で感謝されたりすることが1つ2つでなく続いていたので今後はとりあえず、出し惜しみしない!という方向でやっとぃておこうと思ったのです。
あ、でもゆりんごみたいな妄想好きの変わり者が全国に増えても困るか~!わはは