さて、ここまで、歴史とはなにかについて書いてきました。

 

歴史の記述が変わりうること。

 

それは歴史が文系科目であり、人の社会の中での約束事に関する科目であるため

(それに対して自然の世界の約束事・仕組みを探求するのが理系、自然科学)。

また、現在の価値観から過去の重要なことが何かを抜き出す作業なので、

現在の価値観が変われば重要と感じられることも変わってしまうため

(その意味で、歴史は現在と過去の対話であること)であること。

 

しかし、現在の価値観は「全人類の幸福と平和」という、

かなり普遍的といってよい価値観になってきているため、

それに基づいて記載された現在の歴史教科書はかなり普遍性

(時代がたっても通じる)を持っているだろうということ。

 

そして、この究極の価値観に向かってどのように人間が可能性を広げてきたか、

それが歴史の記載のポイントではないか。

これを可能性説と名付けたこと。

 

まとめると、こんなところでしょうか。

私のオリジナル(と思っているところ)は、可能性説、というところですね。

 

 

可能性説をとれば、今の教科書で張飛関羽マリーアントワネットが重視されない理由もなんとなく納得できます。

歴史上の人物というのは、有名だからのせる、かっこいいからのせる、

ということではないのです。

常に、

「可能性を広げる」、そこに貢献する行為をしたかによって判断する。

 

張飛や関羽はその時代の強い武将であったということであって、

戦争における戦い方の可能性を広げたわけではありません。

というよりも、戦争そのものが現代では全人類の幸福と平和にとって役立たない、

むしろなくすべきものと判断されています。

だから、基本的に、どれほど戦争がうまい将軍でも、歴史の教科書にはのらない。

 

ナポレオンは戦争がうまい将軍だったから教科書にのったのではなく、

その後皇帝になっていろいろしたり、

その前のフランス革命という大きな可能性を広げた事件の顛末の一部として、

記載する必要がある、ということだと思います。

 

マリーアントワネットはどちらかというと愚かな人、ということであって、

かといって人類にとって二度と繰り返してはいけない過ちをしたわけでもないので、善悪どちらからみても、人間の可能性を広げたというわけではないのです。

 

源平合戦の義経の活躍よりも御成敗式目のほうが歴史的に価値があるのも、

武家政権のための法令ということで、

武士の社会に一つの約束事ができた、という意味で可能性が広がったと考えることができます。

鎌倉幕府成立、というのも、政治をするのが貴族だけだったのが、

武士という身分が政治を行うという一つの可能性をみせた、という点で重要です。

 

逆に、

可能性説からみると、今の教科書にはのっているが本当はあまり重要そうでないものも目に付くようになりました。

大阪冬の陣のあと徳川方が外堀まで埋めたのなんて、どうでもいいじゃん、いらないんじゃないか? 

いやそもそも、冬の陣夏の陣すらなくてもいいんじゃないか、とか。

自分の中で、可能性説を検証してみたわけです。

 

 

ところがいろいろ検証していてふとつまづいたのが、江戸時代における大名の扱いでした。よくご存じの、親藩・譜代・外様というやつです。

 

 

ん? 

 

 

これって、現代の「人類の平和・幸福」にとって、なんの意味があるのだ?

どういう可能性を広げたことになるのだ?

 

ここまでの可能性説からみれば、これはいりません。

しかし、直観的に、これを教科書から削除するのはさすがにまずい気がする・・・

 

どうしたものか・・・

 

 

それで考えてみるに、

徳川家康はなんのためにこんな譜代とか外様とかにわけたのだろう

と疑問が出てきました。

 

どう考えても、日本人全体の平和とか幸福とかを願ってのことではないわけです。

 

すると、面白いことに気づきました。

この辺は、可能性説を考えだしてよかったと思うのですが、

 

この大名の区分けは、どう考えても徳川家存続のために考え出したものとしか思えない。

 

いや、より正確には存続のためではなくて、存続のため「だけ」の制度ではないか、と。

 

徳川家康への見方が変わりました。

 

私はそれまでおめでたくも徳川家康のことを、

「戦国乱世を終わらせ世界にもまれにみる長期の平和な時代の礎を作り上げた人」

という側面から見過ぎていました。

 

江戸時代はたしかに平和なイメージです。身分制度がきついとか、いろいろ問題はあったかもしれないが。

そして、家康が、再び戦乱が起こらないようにと工夫をこらしたのは事実だろうと思います。

 

しかしそれは、平和を第一に願ってのことではない

と今では思っています。

 

「民のことを思って」「日本全体の平和を考えて」とかではなかったと思うのです。

 

家康が一番に重視したのは、きっと

「徳川家の存続」

だったと思います。

 

とにかく徳川家が代々平和に君臨できること。

そのためには戦乱が起きてはこまるから、二次的に平和が続くような仕組みを工夫せざるを得なかっただけのことではないかー。

 

そういう意味では、あとから評価されるようになった江戸時代に華ひらいた文化などは、家康にとってはどうでもよかったに違いありません。

楽市楽座をつくった織田信長の方が

「みんなが幸せになるためにはどうしたらいいだろう」

と考えていたように思います。

 

家康の場合は、他人なんかどうでもよくて(生かさず殺さず)、

もっともっと豊かになろうという欲もなくて(遺訓も、そう考えて読むと、あまり前向きなものではありません)、

ひたすら現状維持、徳川家の存続だけを考えていたのではないか、と思います。

 

そういう意味では非常に消極的な生き方だったのかもしれません(戦国時代で明日をもしれぬ場合には、身の安全それすらも大変なことだったかもしれませんが)。

偉人のイメージにあるような志の高さはそれほどなかったのかもしれません。

 

来年の大河ドラマは家康が主人公だそうですが、ドラマの中で家康が

「この戦乱の世を終わらせて、平和な時代を作らねば」

などというセリフを言ったら、たぶん私は嘘くさいと思ってしまうと思います。

そうではなく、

「うーん、どうやったらわしの孫の孫のそのまた孫の代まで、徳川家が将軍職を安泰に続けられるかなあ」とそればかり悩む姿だったら、リアル、と思うでしょう。

 

しかし一方で、代々の将軍がすべて徳川存続だけを考えていたのではないでしょう。

社会全体の発展的安定、日本全体の繫栄のためにはどうしたらよいか、

そういう視点からいろいろ考えていろいろやったから、徳川吉宗は重要なのでしょう。

 

 

さて、話がそれました。

現代の価値観を基準にしてみた場合、外様・譜代の区分はいかにも意味がありません。

とはいえ、それを歴史の教科書から削除するのもためらわれる。

 

どうするか?

 

というか、そもそも、家康自身に、いや、当時の多くの人にとって、「全人類の幸福・平和」などという価値観があったのかどうか疑問である、ということに気づきました。

 

平和がよいとかという考えがまったくなかったとは言いませんが、今の目からみると、ずいぶん不格好なものだったに違いありません。

男尊女卑とか、身分制度とか、普通に前提でしたし。

 

そう考えると、現代の価値観の物差しを過去の人の考えや行動に無理やり当てはめるのはおかしなことだと気づきます。

 

また、当時の社会の常識から考えても、

たとえば家康が「人類みな平等。普通選挙制で将軍を決める」などということを理想と考えていたら、天下統一も江戸幕府も作れなかったに違いない。

 

であるならば、

当時の社会や家康の考え方の限界を踏まえることが必要

だということになります。

 

当時の社会情勢という条件の中で、時の権力者であった家康がどこまで考えることができたか、どこまでは実行することができたか、それは現実的であったか、結果として社会がどうなっていったか。

 

そういうことであれば、譜代や外様を学ぶ意味もでてきます。

江戸時代はそうして安定を保とうとした、ということ。

実際にそれはある程度有効であったでしょうし、また限界でもあった。

 

そう考えると、大阪冬の陣の外堀埋めとか、徳川による豊臣家、源氏による平家の徹底したせん滅、というのも歴史として学ぶ意味があります。

 

当時はそのようにだましたり、敵を徹底的に根絶しないとその後の安定が難しかったと考えられます。

実際に平家が頼朝を生かしたばかりに、源平の合戦(戦争)が再発した、と考えることはできます。もし平清盛が頼朝を処刑していたら(それが他の面でよいかどうかは別として)、源平の合戦という戦争は起こっていなかったわけですから。

 

角川の「日本の歴史」を読むと、時代をさかのぼって奈良時代以前ですと、もう少しやり方が原始的な感じです。

敵がいたらとにかく「謀反の疑い」ということで粛清してしまう。やり方が毎回同じで単調極まりない。

時代が下っていくにつれ、いい悪いはともかく、いろいろなやり方がでてきます。複雑になっていく。考え方が多様になっていくといいますか。

 

そういうふうに、その当時の考え方の限界まで含めて可能性説を考えれば、かなり疑問が解消する、と考えました。

それをぱっと一行で表わすのは難しいですが。

 

 

これでだいたい私の「歴史とはなにか」についての考えは整理できました。

不完全な部分もあるとは思いますが。

 

そして、小説のときと、同じことを思います。

 

私の可能性説が完全とは言いませんが、

どうして教科書に、歴史を学ぶ意味とかを書いてくれないのでしょうか。

江戸時代の大事なことはこれこれ、鎌倉時代の大事なことはこれこれ、ということではなく、どうして大事と考えているのか、それを冒頭に書いてほしいわけです。

 

 

特に思うのは、平安時代、藤原道長のことを考えるときです。

つまり、可能性説からみたときの、現在の歴史という教科への不満の一例です。

このことを書いて、私の「歴史とはなにか」についての考えを終わりたいと思います。

 

道長が娘たちを次々と天皇に嫁がせて権力を得た、というのは有名です。

「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」

という歌も、これまた有名。

 

しかし、考えてみると、道長について学ぶことってこれだけなのです。

 

それ以外はあまり深く学ばない。せいぜい間接的に紫式部のパトロンだった、ぐらいです。

 

これは、可能性説を通して考えてみると、おかしいのです。

可能性説から考えると、現代から見て、あるいは当時の限界から見て、道長がどんな可能性を広げたの?という疑問がわく。

単に自分と自分の一族をうまく繁栄させた、というだけです。

それだけいわれても、可能性を広げたとはいいにくい。

道長は実際にどんな政治をしたのか、当時の社会にどんな影響を与えたのか?

教科書では、出世した以外のことはほとんどわからない。

なのに、平安時代を代表する歴史的人物になってしまっている。

 

たとえば豊臣秀吉ならば足軽から太閤になった、という経歴で歴史に名を残した、ということになってしまう。そうではない。太閤になったならないが秀吉の主な功績ではありません。天下統一をなしとげたことが一番大事なはずです。

 

可能性説であえて説明するならば、以下のようになります。

 

「このように、平安時代に権力をにぎるやり方は天皇家とつながることが一番だった」という一文が入り、それが前の奈良時代(先ほど書いた、謀反という言いがかりのやり方)や、後につづく鎌倉時代(武力を背景にしたやり方)と違う、そういう限界があった、という解説になるとは思われます。

 

しかし、それだけだと、当時は「とにかく権力の座について好き勝手なぜいたくをするのが大事だ」という考え方しかなかったということになる。

 

その前の奈良時代だと、聖武天皇東大寺とか国分寺とか、国をどうまとめていくか、とか考えていたはずです。

 

だとすれば、平安時代は貴族たちは政治そっちのけで遊んでばかりいた、ということになり、現代からみるとあまり尊敬できたものではない・・・という書き方にならないとおかしい。

 

少なくともヒトラーについては、やはり「こういうことは間違いであった」という書き方になっているはずです。

 

それがどうも、道長という人物の教科書での取り上げ方を見ると、あまりネガティブな感じに描かれていない。どちらかというと偉人に近いスタンスで書かれている感じがします。

 

たとえば、こういう見方で書くことは可能なはずです。

 

「平安時代は、貴族たちは自分たちの出世や贅沢がとにかく大事という考え方がメインであった。遊んでばかりいた(その中で文化も生まれたことは生まれたが)。

現代から見るとちょっと学ぶところの少ない時代である。だから各地で反乱とか起きて、そのうち武士にとってかわられたのも無理はない。

そういう、なかば現世的・退廃的な、発展に限界のあった平安時代を象徴する代表的な人物が藤原道長である。政治的にはなんの功績も残さなかった(それは同時代の他の貴族も同様だったが)にもかかわらず、天皇に娘を嫁がせるという才能だけ(その才能が一番大事という変わった時代であった)は突出していたために、平安時代の中でもっとも成功することができた。そして、周囲の貴族も彼をもっとも成功した人物と評価した」

 

可能性説なら、こう書いたほうがしっくりきますし、平安時代を学ぶ意味も感じられます。

 

道長がどういう手段で出世したのか、という事実だけ書いてある教科書では、実際には何も学びようがない、単なる物知り博士になっているに過ぎない、というのが私の率直な思いです。

 

生類憐みの令もそういう意味では学ぶ価値が出てきます。

江戸時代のような権力体制だとこんなバカバカしいことがまかりとおってしまう、という政治体制の限界を代表しているから(徳川綱吉死後、すぐに撤廃されたそうです)。

 

応仁の乱とかも、いまいち頭に入りにくいのはそのせいかもしれません。

「これこれこういう基準で、応仁の乱は重要だと判断しました」

という判断基準を書いてほしいわけです。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

もう一つだけ、後日おまけを書きたいと思います。

 

<一応本編は終了>