この疑問は、こう言いかえることもできます。
「どういうことか」と言われても、書いてあるそのままを書いてはいけないのか?
そもそも筆者は、ほかに表現のしようがなくてその文章を作ったのだから、それ以外に書きようがないじゃないか。
違った言葉で書けば、意味が変わってしまうのではないか?
ごもっともです。
しかし、読解力が何かということがわかれば、この疑問はとくことができます。
詳しくは読解力の記事を読んでいただければわかるのですが、
要するに、この質問は、読解力=「書かれた文章をきちんと理解できているか」を測るための質問の一つなのです。
ちなみに、読解力を測る質問で他に有名なのは、「~~とあるが、なぜか」というものがあります。
こちらはわかりやすい。
なぜなら、この質問の場合、理由を書けばいいとわかるから。
そして、ここが肝心なのですが、この質問であれば、答えの「型」がわかります。
「~であるから」とか「~であるため」という語尾で終わればいいと教わっている。
「型」を教えてもらっているのです。
国語の問題を答えるにあたって、型は重要です。そして、なぜか型は、表立って教えてもらうことが少ない。
さて、「『~~~』というのは、どういうことか」という問題(略して以下、「どういうことか」問題)の場合、一応型はあります。
「~~ということ」と書けばいい。
しかし、ここでその「~~」の中身に迷うわけです。冒頭の疑問ですね。
実は、ふくしま式を読んでいただければそこにもうこの疑問の答えは書いてあります。
要するに、「言い換えてやればいい」だけなのです。
これでおしまいですが・・・それだけではピンとこない方もみえるでしょうから(私が実際、最初そうでした)、
私なりに以下、だらだら解説を試みたいと思います。
この疑問を解くカギは、
①「まったく一緒の内容にしなくてよい」です。
「どういうことか」と聞かれて、まったく一緒の内容に答えるのは無理です。それなら問題文の文をそのまま書くしかなくなる。
そうではなくて、ここで試されているのは読解力なのです。
「この文章がわかったのなら、別の言葉でできるだけ近い内容に言い換えられるはずだよね?」
と聞いているのです。近いと思う形に言い換えてやる、そこまででいいのです。
これでもまだピンとこないと思います。そこでもう一つのカギは、
②「文じゃなくて、人との会話でイメージしてみる」です。
たとえばあなたが友達の話を聞いているとする。
話題はなんでもいいですが、たとえば友人が上司の横暴なふるまいを批判しているとする。
友人の話がある程度理解できたな、と思った時、「きみの話を理解した」とどう伝えましょうか?
または、友人が一息ついて、以下に上司が横暴かひとしきりしゃべった後、「わかる?」と聞いたとする。どう答えますか?
「うん、わかったよ」は、一番簡単です。
けれど、読解力のところで書いたように、それでは本当に理解できているのかわかりません
(時には私たちは、わかっているかどうか自分でも怪しいけど、
話を次に進めたくて、「うん、わかったわかった」と相槌をうつことがあります)。
こんなとき、以下のように言うことがあると思います。
「つまり、(横暴って)パワハラしてるってこと?」
それに対して友人が、「そうそう!」と答える。これは、「わかってくれたね!」というサインです。
つまりこうなる。友人は、「私が上司のことを『横暴である』と言ったが、それはどういうことか」と聞いた(実際は聞いてないけど)。
それに対してあなたは、「パワハラ上司であるということ」と答えた。
それによって、友人の話を「読解している」とみなすことができるわけです。
そして、「横暴」は完全に「パワハラ」と同一とはいえないけど、意味としては相当近い。よって、正解となるわけです。
だから、完全に同一である必要はないのです。
これを、文章でやっていると考えればいいのです。
もう2つ、違う例を出しましょう。今度は私の経験です。
あるグループディスカッションに参加したときですが、ある人が、「自分で動けない」と言ったのです。
普通にとらえれば、体力が極端にないとかいう意味じゃないですか。でもその人は、見た目は普通でした。
それに対して私が「どういうこと?」と聞いたら、「人に引っ張られないで自分の意志で動けるか、ということ」と答えました。
それでも私がわからないでいたら、その人をよく知っている別の人が、「自分一人では行動がしにくいということだと思います」と言って、
その人も「そうそう」と同意したのです。
別のディスカッションでは、ある人が「自分に興味がない」と言いました。
これも、どのようにもとれます。この時は、私がいろいろ聞いて、結局、
「最近はすぐ疲れてどうでもよくなってしまって、食べるものとかもなんでもいい、という感じになっている」ということだとわかりました。
結局、問題文も、これと同じなわけです。
試験にでるから、公に出版されているから、すごく完璧な文章のはずだ、とこちらは思ってしまいます。
確かに会話と比べれば、上手な表現はなされていると思いますが。
でも、そこをあえて、「言い足りない文だ」と考えてやる。
そして、「別の言い方でいいかえてあげよう」という作業をする。基本はそこです。
ただ、試験問題だから、日常会話と違って、内容はわかりにくいもの、いわゆる「難解」なものを題材として選びます。
あるいは最新のものを選ぶ。
くわしくは「国語と道徳の違い」で書こうと思いますが、
評論の類であれば、どういうふうに考えたか、という筋道が簡単に追えてしまうと問題が簡単になってしまう。
最新のものであれば、斬新な論理展開をすることになるから、
普通なら「AならB」とするところを、「AならC」ともっていく。
丁寧に読めないと、普段の常識に引きずられて「AだからB」と誤解してしまう。
文章の流れだけに忠実にそって、論理的(いわゆる客観的)に読み進めたときだけ、「AならC」と言っていると理解できる。
それではじめて、「Aとあるがどういうことか」という質問で、
たんに常識で答えている(回答は「Bということ」になる)だけか、
いわゆる読解力がある(回答は「Cということ」になる)のか、出題者が判別できる、ということになります。
だから、読者が慣れていない、または常識化していない、最新の評論が選ばれやすくなる、ということです。
<まとめ>
・「どういうことか」問題とは、理解度(試験用語でいう読解力)をはかるための質問の一形式
・「どんな意味か」ということに等しい
・文章だからとかまえず、普段の会話でやっていること(「それって、~~ということ?」)と同じ作業をしてやればよい
・いいかえてやればいい。公になっている文章といっても、不完全でわかりにくい、とみてやる
理屈上は、こんな感じです。ただ、実際に解いてみようとするとそう簡単にはいかないのですが。
このブログは受験テクニックをつたえるものではなく、素朴な疑問を解明するのが目的なので、ご容赦ください。
あと、問題文に一言文句を。「どういうことか」は、あまりに不親切すぎる。せめて、方向性を示してほしい。
つまり、「具体的に説明せよ」か、「抽象的に説明せよ」といった感じで。
まあ、注釈がないということは、おおむね「問題文と同じ程度のレベルで言い換えよ」ということだとは思いますが。
<一応終了>