私はこの問いのためにブログを開設したくなったといっても過言ではありません。
小説(小学生だと物語文という言い方になりますが、小説の方が言いやすいので、以下は小説で統一します)って、なぜ勉強するんでしょう?
疑問に思いながらも、大人になるまでずっといました。
こういう小説があるよ、ということを勉強するのでしょうか。
あるいは、小説の上手な読み方を勉強するとか。
たいていの人は、そうとらえていると思います。
他によくあるのが、なにか人間的に成長するためとか、他者の経験を疑似体験するとかいう、「成長のため」というものです。
その辺は、実は現場で教えてらっしゃる先生方ももう、「小説を教える」という風に考えてらっしゃるかもしれません。
私の今の所の結論は、こうです。 今日は時間もないので、また続きを書くとして、手短に言えば、
小説を教えるのではない。
小説は手段にすぎない。
本当に教えるのは、人間の様子とか、感情とかの表現の仕方を学ぶのだ
ということ。
ある主張を述べるのは、評論、または論文です。
しかし、手段としての言葉(これこそが国語の目的ですよね?)には、もう一つの大きな役割があるわけです。
それが、「状況や気持ちとかを表現すること」です。
日常会話で考えればいい。
この先、ビジュアルツールがもっと発達すれば別ですが、
例えば昨日起こった出来事を、その場にいなかった人に説明するとすれば、まず使うのは言葉です。
「昨日あそこでこんなことがあってさ」
「いやもうその時のAは怖かったと思うさ。だって、足がぶるぶるふるえて、顔がまっさおっていうか・・」
こういう表現の仕方は、論文からでは決して学べない。
だから、そういう表現を別に学ばなければならない。
そのとき、表現形式として、題材として、最も適当なのが、小説、というわけです。
そして、国語の教科書の目次や参考書の目次をみると、実はそのことが書いてある。
<続く>