前回の(2)の続きです。

 

昔から、そしておそらくは今も続いている国語の授業に関する誤解はまだあります。

ここからは、今の教科書の内容に対する疑義の部分もでてしまうのですが。

 

前回取り上げた「ごんぎつね」の、物語のあとの解説の部分。解説というか、いろいろ「こうしてみよう」とか書いてある、課題の部分ですね。みなさんすぐ「ああ、あれね」とイメージできると思いますが。

 

そこには、「①たしかめよう」とか、「②考えよう」とかある。

詳細は割愛しますが、この最初の2つの内容は、本来の学習目標である「登場人物の変化を読もう」に一応合致しているように思えます(しかし、やり方によっては誤解を生む可能性が濃厚のようにも感じますが)。

 

私が問題と感じたのは、「③深めよう」です。 そこにはこうある。

「ごんと兵十の心のつながりについて、あなたはどう思いましたか。ノートに書いてしょうかいし合いましょう」

そしてさらにその下に、書く中身の例がのっているのですが、

 

男の子のイラスト:「最後に二人はわかり合えたと思うよ。兵十が『ごん、おまえだったのか。いつも、くりをくれたのは。』って言ってるよね。ということは、・・・・・。」

 

女の子のイラスト:「わたしは、二人はわかり合えていないと思うよ。だって、兵十はごんのしてきたことはわかっても、(以下、私の方で略)・・・・・。」

 

これでは自由感想・想像であって、「(書かれてある文章から)登場人物の変化を読もう」という目標から逸脱してしまっていると思うのですが、どうでしょうか?

 

いや、自由感想・想像そのものが悪いといっているわけではありません。自分の考えをきちんと文という形にするというのも、「書く/表現する」という点からすれば立派に国語の学習の一部だと思います。

問題なのは、この、ごんぎつねという単元で勉強するのは「登場人物の変化を読む」ということだったのに、いきなり「自分の考えを文で表現する」という課題がまざってしまっています。

 

これでは、全体として「ごんぎつねという作品についてあれこれ勉強しているんだよ」というメッセージに受け取られる可能性が非常に高くなる。

 

ただでさえ、きちんとこの単元で学ぶことが最初に強調されずに、「ごんぎつねという話を勉強するんだ」と誤解しやすいのに、さらにその誤解を助長するような課題が設定されていると思うのです。

 

しかも、次の最後の課題が「④広げよう」となっていて、「『ごんぎつね』をおすすめするポスターを作りましょう」となっている。これではもう、国語の授業なのか図工の授業なのかわからない。

 

その一方で、次のページ以降には、きちんと学習テーマにそった内容が書かれいてます。その内容は見事です。

また、そこには「ここが大事」とあって、ちゃんと囲みで目立つように、

「物語では、話が進む中で、何かが大きく変わります。たとえば、物語の場面がうつり変わる中で、中心人物の気持ちが変わったり、<以下略>」

とか解説がある。ここはいいと思うのですが。

 

全体には、結局なにを学ぶのか、わかりにくくなっていると思うのです。

 

 

前回の理科の例えで言えば、

「蝶は死んだあと、そのなきがらはどうなるか、想像してみよう。観察してみよう」

というのと同じではないかと思います。あるいは、

「どんな蝶があったらいいか、想像して絵を描いてみよう」

という課題をだすのと同じ。

学ぶべきは一個体の蝶がそのあとどうなるのかとか、想像力を働かせるのではなく、まず蝶が昆虫の一部であり、それにはどんな特徴があるのか、その基本的知識を理解し、覚えることではないでしょうか。

 

あるいは算数の九九で言えば、

「自分でおもいおもいの呪文(?)をつくってみよう」

という課題を出すのと同じ。

「9を11回たすとは99だからくじゅういちくじゅうく」

とかそれぞれに作ってみさせたり。それではかえって学習することがぼやけてしまうだけです。

 

 

しかもまた、腹の立つことに、木竜うるしの課題のところには、「②考えよう」とあって、そこでは登場人物の考えや気持ちのかわったところについて考えさせているのですが、例として、あるせりふをとりあげ、権八の気持ちが変わったと思うわけとして、こう書いてあるのです。

 

「木竜が動いたのは、神様が自分のしたことを怒ったからだと思って、こわくなってきたから」

 

これ、たぶん、試験の解答として模範解答なのです。くわしくはふくしま式を読んでいただければわかるのですが。

(いや、私はふくしま式の回し者ではありません。ただ、国語の参考書として今までで唯一、ふくしま式だけがきちんと書いてくれているので。)

 

大事なことは、この教科書の執筆者は、登場人物の気持ちを答えさせるような質問に対してどう答えるのが正解なのか、きちんとわかっていると思うのです。

 

そして、私たち学ぶものがまず知りたいのは、そういう答えの書き方、お作法だと思うのです。

なのに、模範解答だけはさらっと書いておいて、それをどう書くのかということは教えてくれない。本当は、そこをきちんと教えてほしいのに。

 

くりかえしになりますが、私が今までみてきて、それをきちんとわかりやすく書いてくれているのはふくしま式だけです。

 

別にテスト対策、ということだけではなく、どうすれば人の気持ちを説明したことになるのか、という型を教えてほしいのです。

そういう質問をしておいて、適当に答えると「それじゃあだめだ」とばかり言われ、答え方は教えてくれない。なにか出し惜しみしているのか、それとも教えてしまったらまずいことになるのでわざと隠しているのか、とかさえ疑いたくなってしまいます。

 

 

ずいぶん脇道にそれてしまいました。

本来は、「どうして小説を学ぶのか」ということでした。

途中からは、むしろ「小説を学ぶのはおかしい」というような内容に受け取られかねない書き方になりました。

 

しかしどうしてこんなにながながと批判めいたことを書いたかというと、こうした誤解をうけやすい教え方さえされていなければ、「どうして小説を勉強するのか」という疑問は出なかっただろうと思うからです。

逆にいえば、小説(物語)を学ぶ際に、しっかりと、「人の気持ちの表現の仕方を勉強しています」「場面の表現の仕方を勉強しています」ということが伝えられていれば、誰も「ごんぎつねを勉強してるんだ」とは誤解しないはずなのです。

 

 

それでも「いや、それは違う。やっぱり小説を勉強するんだよ」という意見もあるかもしれません。

もう少し、「小説を学ぶとは、気持ちや場面の表現の仕方を勉強すること。小説は、そのための手段、題材にすぎない」と考えた方がすっきりすると考える、私なりの根拠や補足をします。

<続く>