ここで、別の角度から提案をしてみたいと思います。

「小説を学ぶとは、気持ちや場面の表現の仕方を勉強すること。

小説は、そのための手段、題材にすぎない」を前提に、別の角度からの思いつきを書いてみたいと思います。

 

それにあたり、これから、

「気持ちや場面の表現」のことを、ここからは「表現」とか「表現文」と書くことにします。

我ながらまずまずのネーミングだと思います。

「説明文(評論)」に対して「表現文」です。

「説明文」と「小説」の対比よりもバランスがいいと思いませんか?

 

さて、「表現文を学ぶ」ことが、どうして「小説を学ぶ」ことと誤解されるのか?

まず、(2)で書いたように、「表現の仕方を学びます」という宣言がしっかりとなされてないことが誤解の要因の一つではあります。

 

そしてもう一つ大きいのは、そもそも表現を学ぶのに、なぜか小説ばかり題材にとりあげることであると思うのです。

これが、今回のテーマです。

 

つまり、小説以外の表現文をとりあげて、それを学ぶ題材にしてはどうか。

 

というか、(1)で書いたように、世の中は表現であふれてます!

誰でも会話で「表現」するし、日記やメールで出来事や気持ちを「表現」します。

そう考えると小説など表現文というジャンルのほんの一形態に過ぎません。

 

提案として、国語の先生方は、ぜひ、試験や授業の題材となる表現文を、オリジナルで作ってほしいのですね(この提案を世に問いたいというのが、実はこのブログを開設したくなった大きな動機の中心の一つです)。

いや、作るべきだと思います。

 

だって、数学の先生とかは、簡単な問題なら自分で作るでしょう?

国語の先生だけなんだかさぼっているように見えるのです(失礼!)

 

少なくとも、中学高校レベルは難しくても、小学生レベルなら作ってほしい。

それが当たり前になってほしい。

 

小説を書け、といっているのではありません。

たとえば日常生活の描写でいいんです。自分の経験上のものでかまわない。

 

<問題文>

私はカッとなってつい友達に怒ってしまいました。あとでそのことを別の友達に話して、「あんなことを言わなければよかったよ」とつぶやきました。

 

Q.どうしてつぶやいたのでしょう?

A.一時の感情にまかせて怒鳴ってしまったことを後悔して、それを誰かに聞いてほしかったから。

 

これで立派に試験問題になるし、表現の仕方を学んでいることになる。小説(物語文)でなくてもちゃんと成立するのです。

いや、むしろ、この方が問題の難易度をいろいろ変えることができます。

簡単な問題から難しいレベルまで。

 

私が小説の参考書・問題集を見ていて「おかしい」と思い、また不満だったのは、他の教科のような「基本問題」「応用問題」というレベルの設定がないことでした。

ほぼすべての問題集が、いきなりながながとした物語を読ませて、そのあと複数の設問があるという形式でした。

つまり、すべて応用問題ばかりなのです。

 

一段落だけとか、短い断片的な文章を読ませてそのあとそれに関して一問だけの設定、というような、算数における計算基本問題のような形式の問題集は、なかった。

 

 

自分の日常生活以外でもいろいろあります。

学校の一場面を切り取ってもいい。運動会の様子とかを、先生なりに表現して文章にすればいい。

 

<問題文>

10月の運動会、紅組白組接戦となっていました。紅組わずかにリード。しかし、最後のリレーで逆転もあります。リレーはこれまでの練習では白組が圧倒的に強かったからです。ところが午後からリレーが近づくにつれ、雲が広がってきました。白組の子たちは、みんな空を不安そうな顔で見上げるようになっていました。なかには両手を組んで祈るような顔をしている子もいます。

 

Q.両手を組んで祈るような顔の子は、どんな気持ちでしょう?

A.なんとか最後のリレーまで雨が降らないでほしいと願う気持ち。

 

 

これなら、見たこともないモチモチの木について想像をめぐらすよりも、はるかに子どもにとってわかりやすい。そして、気持ちを表現するというのが実生活とどう結びついているのか、学びとして効果を得やすくないでしょうか。

 

 

自分の生活の周囲に限る必要もありません。テレビドラマや映画のシーンを言葉に書き起こしてもいいと思う。

 

Q.(映画ドラえもんで)のび太が危険をかえりみず敵にむかっていったのはどうしてでしょう?

A.友達になった〇〇のことを助けたいと思ったから。

 

最近でいえば、私は大河ドラマ「青天を衝け」を見ていたので、「あ、ここのシーンを言葉で書きあらわせば、表現文の問題になる」と感じることが何回もありました。

「じゃあためしに書きあらわしてよ」と言われるかもしれませんが、それはさすがに難しい。だって私は国語の先生ではないから。

でも、国語の先生なら、言葉の専門家なら、それをやってほしいわけです。

そしたら「やっぱり国語の先生は、言葉の表現力が違うね」ということになる。

 

いや、百歩譲れば、それが難しければ、そういうドラマのワンシーンをそのまま見せて、「ここで主人公が〇〇したのはどうしてか」と問うてもいいわけです。

 

あるいは、もっとできる先生なら、まず自分でそのシーンを文章で表現して模範解答を作ったうえで、ワンシーンを見せて、「このシーンを主人公の気持ちを中心にして文章で表現しなさい」という課題をだしてもいいわけです

(うん、これはいい課題かもしれない。運動会や遠足などを題材に作文させるじゃないですか? でもそれだと、テーマが大きすぎて、生徒は何を書くか、から悩むわけです。そうではなく、もう書くシーンを決めてあげる。そのうえで、表現の仕方にしぼって書く練習をさせる。どうでしょう?)

 

ちょっと話がそれました。

くり返しになりますが、国語の先生には小説を書けといっているわけではない。

一から創作をしろということではない。

描写まででかまわない。

それをしてほしい。

 

 

小説を題材にするにしても、そのまま抜き出す以外の工夫をしてもいいのではないでしょうか?

 

最近、「はんぶんぺぺちゃん」という話を題材にした小学生用の問題を見ました。

 

簡単に問題になった部分のあらすじを言うと、主人公の女の子が学校でいたずらをしたらそれが大きなさわぎになってしまった。自分がやったと言えず、だまって家に帰った後、様子がおかしいのに両親に気づかれた。お父さんが本人を諭す中で、女の子から謝る言葉がでてくる、という場面です。

 

そこで問題は、

「どうして女の子は『ごめんなさい』を言ったのか」というものでした。

あらすじだけ書くと、答えは「お父さんに諭されて素直に気持ちを出せるようになったから」とすぐ出そうです。少なくとも、「お父さんに諭されたから」ぐらいは書けそう。

 

ところが本文は、すごく長いのです。 

著作権の問題とかあると思うので、抽象的にだけ書きますが、お父さんが諭すやり取りのあたりだけでも、

 

父、母のやりとり→主人公の様子→父が主人公に話しかける→主人公の様子→父、また話しかける→主人公、いいわけをする→父と主人公の会話→母が間に入ってセリフ→父が母を制止→父、主人公に話しかける(キーとなるセリフ)→主人公の様子→父、またキーとなるセリフを言う→主人公の様子→父、違う話→主人公の様子→父、主人公に提案する→母、間に入ろうとする→父、再度母を制止→母、父の制止を受け入れる様子→主人公、「ごめんなさい」と言う

 

という感じで非常に複雑に、いろいろな情報がまざっています。

 

この場合、慣れている小学生でないと、「悪いことをしたから」という答えを書いてしまうでしょう。問題文が複雑なので、混乱してしまうのです。

 

でも、本文を調整して、お母さんのところを抜いてしまったらどうでしょう?

 

あるいは、もっと簡単に、青字のところだけにしてしまったら?

 

父、主人公に話しかける(キーとなるセリフ)→主人公の様子→父、またキーとなるセリフを言う→主人公の様子→主人公、「ごめんなさい」と言う

 

これだったら、「お父さんに『〇〇』と言われたから」と答えられそうです。

 

「そんなの簡単すぎるじゃないか?」と思われるかもしれません。

でも、最初はそれで、いいと思うのです。その段階でつまずく子だっているのだから。

算数だって、最初は「1+2」から始めるじゃないですか。

そのあとで、「リンゴを1こ、あとで2こ買いました。あわせていくつでしょう」とか「1+3+2は?」とかやるのだと思います。

 

むしろこれまで、そういう段階をふまずにいきなり答えを書かせよう、というのが無理が大きかったのではないでしょうか。

 

また、こういうやり方に対し、「一つの作品ともいえる小説を、勝手に飛ばしたりしていじくるなんて問題だ」という批判もあるかもしれません。

しかし、一つの作品のある部分を抜き書きしている時点で、もうその作品を改変していることにはならないでしょうか。

本当にその作品を味わうのなら、最初から最後まで読むのでないとおかしい。

また、問題を作るとき、やはり「作者の言いたいことと出題者の問いたいことが違う」という問題が出てきます。

 

 

さて、ここまでぐだぐだと書いてきました。長すぎて、書いている自分自身も何を書いているのかわからなくなりかけています。

そろそろまとめます。

 

<まとめ>

・小説や物語を勉強する意味はある

・それは、人の気持ちや場面を、言葉でどう表現するか、ということを学べるということ。説明文・評論などではそういうことは学べない

・試験問題でも、小説(物語文)問題では、主としてそういう観点(そのときの登場人物の気持ちを説明させる)からの出題が多い

・一方で、教科書や参考書では、「表現の仕方を学ぶ」と目立った形で提示されていないため、「小説を学ぶ」というような理解になりがち。しかしそれでは、試験問題を解く助けにならない

・説明文・評論に対峙する言い方として、物語文・小説のかわりに「表現文」としたほうが、何をまなぶのかわかりやすくないか

・表現文をまなぶ材料として、小説ばかりをとりあげるのはやめたほうがよい。国語の先生は、専門家であるのだから、自ら小説にあたる部分をオリジナルで創作すべきではないか

・それと同時に、国語の小説問題も他の教科と同じように、応用問題だけでなく基本問題もつくるべきではないか

 

<一応終了>