お久しぶりです。仕事が思いがけず順調に進んだので、宣言通り再開いたします。
それにしても、私がいろいろと無い知恵をしぼって考えた渾身の記事よりは、
前回の「お知らせ」のほうが、「いいね!」の数が多い・・・
人の評価というのは内容の前にまず相手への配慮が大事、ということでしょうか。
さて、続きです。
説明Aの年表説、Bの教訓説ときて、最後に、「歴史とは何か」のよくある説明Cに取り組みます。
C:歴史とは、現代の社会の動きを知るために必要な過去の流れである
必要だ、という点では、教訓説に近いです。
むしろ、教訓説の「役に立つ」よりも、踏み込んでいます。
必要な知識、という意味では、切実さがあります。
池上彰さんも、歴史を学ぶことの必要性について、この考え方で説明しておられました。
池上さんが新聞のインタビューか広告かで出しておられた例を簡単に(記憶があやふやですが)紹介します。
「 今、台湾と中国の間で何かと緊張関係が報じられている。それはどうしてそうなっているのか。
もともと台湾は、清朝の時代に中国の領土となった。それが、一時日本の支配を受けた後、中国の内戦の結果、中国共産党に敗れた中華民国の中国国民党が第二次世界大戦後、逃れてきた場所が台湾。
したがって、現在国際社会から中国と認められている中華人民共和国からすれば、
台湾は野党が逃れて不法に占拠している状態である。中国(中国共産党)の一部であるから、統一するのが当然といえる。『一つの中国』という主張になる。そういうことを知らないと、今の中国と台湾の緊張関係はわからない。 」
さすがに池上さんというか、引き合いにだす例も上手なら、説得力もすばらしく、
かつ常識的なのに内容が深く、信頼がもてます。
今の社会を知るためには、どうしてそうなったのか、
過去のいきさつ、ルーツ(起源)をさかのぼって知らなければならないー
説明Aの年表説が小学生向け、説明Bの教訓説が中学~高校生向けとすれば、
この説明は、高校~大学生~社会人向け、といえそうです。
これを、「ルーツ説」と呼ぶことにします。
けっこうこれは、手ごわい・・もとい、説得力のある説です。
いわゆる「池上解説」も、けっこうこれがあるからわかりやすい、という印象もある。
池上さんが佐藤優さんと共著した、「教育激変」という新書(中公新書ラクレ)があるのですが、その中の説明にある、大学入試の共通テストの歴史がそうです。
なぜ共通一次試験が生まれ、それがセンター試験になって、さらに共通テストになっていったのか。
私は今まで、「センター試験なんて、ただ名前が変わっただけでしょ?」と思っていたのですが、なるほど、そういういきさつがあって共通一次ができたのか、とか、よくわかった。
そして、その歴史がわかること自体が面白かったし、共通テストというものを今後考えるにあたって、今までより深く考えることができるようになった気がしました(共通テストに直接関わることはないのでしょうが)。
どんな話題にせよ、軽々しく思い付きで意見を言うよりは、きちんといきさつを踏まえた上で考えて意見を言うことが大事でしょう。そのためには歴史を知っておくというのは大変大事なことなのだなあ、と思いました。
また、教訓説では歴史が時系列で記載されなければならない理由がはっきりしませんでしたが、ルーツ説なら明らかです。
現在のことがどうして起こったのかさかのぼれば過去になるし、それは時間軸に沿うはずです。共通一次のあとにいきなり共通テストにはなりません。センター試験という状況があって、そのあと、共通テスト、という流れでないと、理解が困難になります。
ただ、です。
ルーツ説にも弱点(?)があります。
少なくとも、私にとっては。二つあります。
一つには、ルーツ説は、専門家向け・大人向けの「歴史とはなにか」の説明のように思います。つまり、難しい。
定義自体は簡単明快なのですが、そのために実践するとなると、一つ一つのテーマにつき、ものすごい深掘りが必要になる。
さきほど挙げた台湾のことでも、では中国国民党はどういうものだったのか、とか、どんどん疑問がわいてくる。
そして、調べても調べても過去が出てくるので、どれだけ勉強しても、きりがない感じになります。
何かを調べるにしても、まず歴史を勉強しようというのでは大変です。
素人としては、あるいは、学校で勉強する程度のつきあいで歴史をとどめておきたい人にとっては、ちょっと高度過ぎるのです。
もうちょっと簡単な、「歴史ってこういうことね?」的なものがほしい。
もう一つは、 -こちらの方がメインですが- ほんとにそうか? ということです。
なんでもルーツを知っていないと「わかっていることにならない」のか?
簡単のため、日本史に限ってみますが、
日本史の教科書レベルのことをきちんとわかっていないと、本当に今の日本社会のことがわからないのでしょうか?
少なくとも私は、室町時代や南北朝時代が今の日本に与えている影響がわかりません。
というより、今の日本のことを考えるのに、そこまでさかのぼって考えたことがありません。
一般にも、そこまでさかのぼった議論をあまり見たことがない。
最近和菓子の「とらや」が室町時代創業と知ってびっくりしたことはあります。
けど、その知識はトリビア以上のものにはなりません。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を面白く見ています。
それなりに史実に忠実に作られているので、勉強にはなります。
ただ、それは自分が歴史に面白さを感じるからであって
(そう考えると歴史ドラマはただのフィクションドラマよりも得をしているかもしれません。歴史ドラマというだけで、歴史ファンを呼び寄せる広告になるからです)、鎌倉時代を学ぶことで、自然と現代社会に対する考えが深まるという感じはしません。
私の中では、現代社会と鎌倉時代や室町時代は断絶しているのです。
江戸時代ですら、それほど関係が強いとは思えない。
せいぜい、
「江戸時代の寺子屋制度があったから日本はもともと識字率が高かった。それで明治以降、工業化などの流れに素早く対応できて、先進国の仲間入りができたのではないか。少なくとも要因の一つではないか」
⇒「教育はこれからも大事にしないといけない」
とつなげることができるくらいです。
「何をいうか。歴史の勉強をしないと葛飾北斎の絵を見ても世界最古の木造建築物である法隆寺を見ても、その貴重さがわからないではないか」
という声が聞こえてきそうです。
でもそれは、美術品を見たり歴史名所を旅するとき、あると便利で興味のわく知識に過ぎません。
私たちは、将来観光名所を訪れるときの、旅の準備のために、小学生のうちから歴史の勉強をするのでしょうか。
私自身は自分の「ルーツ」に関心の薄い人間だと思っています。自分の祖先について知りたいとは思うけれど、それほど強くありません。家訓のようなものもないし。
だから余計そうかもしれませんが、今の日本を理解するのに、歴史の教科書の知識すべてが必要とは思えないのです。
少なくとも、一般の人の生活にとって、鎌倉時代の知識は要らんだろう。
稲作が弥生時代から始まったという事実は専門家、それに関わる人にとっては重要でしょうし、どこかに正確に記録されておいた方がいいです。
しかし、正直弥生時代に始まってようが、縄文時代に始まっていようが、奈良時代からであろうが、今の生活には関係ない。
「稲作は奈良時代から」と勘違いして覚えていても、問題ありません。
「常識を知らない」と恥をかくことはあるでしょう。でもそれは、漢字の読みを間違えて覚えていた程度のことではないでしょうか。
職場で「大正デモクラシーって何?」と明日聞いてみましょうか?
たぶんきちんと説明できる人はいないでしょう。
そして、それで仕事に困ることはありません。
<長くなったので一区切り。「下」に続きます>