さて、歴史とはなにか、についてのおまけです。

これまでよりは、(理屈が)荒く書きます。

 

これは、今の歴史の教科書に関する私なりの要望です。

 

いつもと同じように、結論から書きますと、

 

もっと技術史を体系的に取り上げてほしいと思うのです。

 

 

今の歴史教科書は、記載の中心が、その当時の社会制度の変遷に置かれ過ぎていると思うのですね。

ときどき、文化とか、芸術関係の記載が出てくる。古今和歌集とか源氏物語とかです。あれもバラバラな感じで、きちっとしたまとまりをもって理解しにくいのですが・・・

 

それよりも、技術の記載があまりにも少ないと思うのですね。

技術って、大事じゃないかと思うのです。

芸術と技術、どちらが大事か、という問いは不毛だと思うのでしませんが。

 

人の営みを難しい表現で「文化」と「文明」という見方で分けると、

やはり学校で勉強する歴史は「文明」よりの内容の方がふさわしい気がします。

 

そして、文化が美術、芸術的な側面が大きいのに対し、文明は、技術という感じです。

 

技術、というと、車とかパソコンとかスマホがイメージされるかもしれません。

そうしたものも取り上げてもいいのですが、

私が想定している技術とは、もっと基本的な、根底的な技術のことです。

 

私がここでいう技術史の具体的な中身でいえば、

たとえば水道です。

水を井戸や川からくんでくるのではなく、溝や管を作って、町に「ひいてくる」。

これがどれほど生活に重要なことか。

江戸時代の江戸は最盛期、100万の人口を誇ったといいます。当時世界一。

人口が多ければいいということではないですが、やはり100万というのはすごい。

それができたのは、決して奥の細道でもなければ浮世絵でもなく、一つには水道がきちんと普及していたからではないでしょうか(この間、ブラタモリを見てその普及について知ったのですが・・・)。

 

世界史レベルでも、けっこう技術史というのは隅に追いやられている感じがします。

一番有名なのはイギリスの産業革命でしょうが。

あとは、とか印刷技術

なぜか日本史では鉄砲の伝来が非常に重要視されます。

 

重要は重要なのでしょうが、それだけポン、と出されても、という感じがします。

個人的には、いろいろ知ると、それに勝るとも劣らない技術はたくさんあると思うようになりました。「こんな基礎的なことを自分は知らなかったのか」と。

 

もちろん、ここ100年でしょうか? 電気・ガス・上下水道・情報通信網など、過去に比べけた外れの勢いで発展したので、歴史として記載するのはバランス感覚が問われるとは思いますが。

 

また、今でも電気や水道が使えない国や地域がたくさんあることも知っています。

つまり、そういうのがなくては人が生きていけないという書き方では困ります。

 

しかし、私たちがより豊かに、可能性説でいえば「幸福、平和になる」ために、生活の基盤として、技術の進歩は欠かせません。

水道のない地域でも、ないことを選んでいるのではないはずです。

 

そういう意味では、体系的に技術の発展を学ぶは大事なことではないかと思うのです。

 

 

私も詳しくはないので断片的になりますが、ここからは、具体例をもう少し出してみましょう。そこでイメージしていただきたい。こういう技術は、果たして基本的知識(例えば公民における三権分立とか歴史における明治維新とか)として知っていなくていいのか、と。

 

 

たとえば誰が発明したのかわかりませんが、車輪の発明は人類にとって非常に重要でした。

回転運動を水平運動に、水平運動を回転運動に変えるという仕組みは、仕事の効率を圧倒的に改善したはずです。今でもそれは、歯車とかねじとかモーターといった部品に使われています。

 

昔、関口宏のサンデーモーニングの、確か新春スペシャルで、「人類にとって最も重要な発明はなんだったか」というテーマの回がありました。

番組に出演していた芸能人の方々は、テレビとかパソコンとか答えていたのが、世界の学者さんなどはかなり多くの人が「車輪の発明は非常に重要でした」と答えていたのが今でも記憶に残っています。

 

また、技術という意味を広くとれば、家畜の利用というのも大きかった。これも、仕事、あるいは移動の効率にとって大きな意味を持ちます。

 

メキシコのマヤ文明などは、車輪と家畜ということを「発明」しなかったそうです。だからほろんだ、ということではないけど、もし知っていたら、さらに高度な文明を築いていたでしょう。

 

インフラ、ということでは灌漑設備ということももっと強調されてもいいと思います。

 

先に挙げた電気上下水道というのも、都市の生活に欠かせません。

いったいいつのころからどうやって電線は普及していったのでしょう。

 

下水といえばトイレはどうか。これはいらないか・・・

 

材料、という点では、コンクリートの発明も挙げてよいと思います。

実はローマ時代にもコンクリートは使われていたそうです。

私たちは、コンクリートがどうやって作られているのか、意外としりません。

せいぜいセメントに近いものとか、タンクローリー車に入っているくらいでしょう。

あれだけ大量に使って、コンクリートの材料は不足することはないのか? 

それも知りません。

コンクリートはどちらかというと人工的で、木に比べて嫌われるイメージですが、ダムや高速道路、ビルなどの建設の際には、やはり欠かせない材料です。コンクリートなしでは都市の景観をつくることはできません。

 

それならば、プラスチックも挙げなければなりません。

問題点も多く、特に最近は悪者扱いされていますが、これだけ利用されているのならば、プラスチックがいつ頃どうやって発明されて、それまでの材料とどう違ったから爆発的に利用されるようになったのか、一応の歴史は押さえておいてもいいのではないでしょうか。

プラスチックのなかった頃と比べて、今は圧倒的に便利になった(便利という側面だけみれば、幸福になったわけです)のですから、プラスチックのなかった時代の不便さはどんなものだったのか、冷静に比較しておく必要があると思うのです。そして、今後、その便利さをできるだけ保ったまま、プラスチックゼロを目指すということになると思います。

 

半導体も忘れてはなりません。産業のコメ、などと言われていますが、多くの人はどういうものだかさっぱりイメージがわかないのではないでしょうか。私もそうですが。

いや、仕組みまで知るのは難しいにせよ、半導体が実際にどのようなものか、写真とかだけででも見ておいて損はないと思います。

 

あと、電波。電気ではなく、電波。電波も大事です。携帯電話が使えるのも、電波のおかげです。技術史という点では、携帯を教えるのではなく、より根本的な、電波を教えるべきだと思います。

 

他にも、インフラとして、海底ケーブル。これも大事そうです。私は今でも信じられません。太平洋を横断する長さのケーブルが実際に走っていることが。よくそんな長さのケーブルを作ったものです。また、すでに19世紀から海底ケーブルはあったとのこと。

 

 

まだまだありそうですが、私も専門家ではないので、あまり的外れなことを書いてもおかしくなるのでこの辺にしておきます。

 

けれど、私の言いたいことはわかっていただけたのではないかと思います。

私は素人だから、だからこそ一般的な「知らないのが常識」なことがわかるつもりです。

そして、その「知らないのが常識」なことが、「技術」ということに関してはとても偏っていると思うのです。「電波? そんなもん知らん」と平気な顔をしてスマホをいじったり、ガラスやコンクリートのことを考えずに美術館に行って浮世絵や印象派を見て「よかったね」というのは、どこかバランスを欠いていると思うのです。人間が今の社会を営んでいくにあたって、優先順位として知っておくべき基礎的な知識は、印象派でしょうか、電波でしょうか。

極端な話、印象派はなくなっても生活は成り立つし、それで美術がなくなるわけではない。けれど、電波は今の社会にとって必要不可欠なはずです。

また、重要な技術の知識の中でも、バランスが悪い。例えば遺伝子の技術は重要だろうし、その知識はほとんど常識です。それに比べて電波というのは意識されない。かなりこれもバランスが悪いと思います。

 

 

以上、ありがとうございました。

これで本当におしまいです。