前回からの続きです。
「歴史を学ぶのは教訓が得られるから」ということなら年代順に並べる必要はないんじゃないか、という疑問でした。
歴史を学ぶ意味が教訓ということが主目的であるのなら、
極論すればエピソード集・教訓集という形にしてもいいわけです。
ある歴史的エピソードから学ぶべき教訓(=テーマ、主題)が学びやすいように、
そのエピソードだけわかりやすく取り出して勉強してもいいではないですか。
それが、今の教科書の書き方だと、純粋にエピソードをストーリーとしてえがくやり方ではないので、何が教訓かわかりにくい。
教訓としてみるには薄まってしまっています。
たとえば、皆さんは「為せば成る」ということわざをご存じでしょう。
元の言葉はもっと長いのですが、要するに
「やろうと真剣に思えばたいていのことはできるんだ。
できないというのはやろうと真剣に思ってないだけなんだよ」
という意味の、人の心構えを説いたものです。
これは、ご存じの方も多いでしょうが、江戸時代の上杉鷹山という大名が残しました。
借金まみれで領地返上寸前だった米沢藩を見事に立て直したことからでた言葉です。
これはこれで、道徳の教科書にものりそうな立派な話です。
しかし一方で、実際の描き方を角川の日本の歴史でみると、
このころいかに各藩が経済的に苦労していったか、
あるいは上杉鷹山のいる米沢藩以外の藩の工夫、
そちらに重点が置かれた書き方になっている。
つまり、上杉鷹山の感動的エピソードというより、当時の日本の状況とか問題点を描きたいようなのです。
あるいはもっと適当なエピソードとしては、ナイチンゲールがよいかもしれません。
白衣の天使とよばれ、看護師の社会的地位を向上させ、等々。
しかし、世界史上で、ナイチンゲールがいつの時代の人だったのかとか、どことどこの戦争だったのかとか、そちらが記載されていると、ナイチンゲールその人から学ぶべきなんらかの教訓、というのが見えにくくなってしまいます。
そういう意味では、何かの教訓を学ぶのならば、歴史よりも伝記の方が適切かもしれません。
また、ナイチンゲールと、彼女の活躍したというクリミア戦争と、どちらが多くの人にとって「教訓=学ぶべきもの」となりえるのか。
普通はナイチンゲールですよね(というより、ナイチンゲールがいなかったらクリミア戦争がここまで有名かどうか)。
一国を動かすような政治家と、市井の一般人とでは、得たい教訓、役に立つ教訓も違うはずです。
政治家ならば、ナチスドイツに攻撃されたとき、チャーチルがどうイギリス国民を鼓舞したかに学ぶことが大きい。
一方で、病気に苦しむ人にとっては、チャーチルよりはヘレンケラーについて知るほうが心の支えになるでしょう。
しかし、今のような歴史の教科書だと、ヘレンケラーはそれほど重視されない・・・。
「いや、歴史というのは、個人にとっての教訓ではなく、社会全体にとっての教訓を学ぶためのものなんだよ」
という理屈もでてくるかもしれません。
それならそうときちんと書いてほしいわけです
(これもしかし、ちょっとうさんくさい感じがするわけです。
多くの人は政治家にはならないわけですから。
それなのに、天下国家にとっての教訓を学ぶことが大事、
とか言われるとちょっと距離をおきたくなりませんか?
しかし、このことは深入りは避けます)。
しかしです。
百歩譲って、個人的にせよ社会的にせよ、教訓を得るために歴史を勉強するんだ、としましょう。
それでも、教訓説には穴があるわけです。
先ほど書いた、年代順に勉強する必要性がない、ということが一つ。
そして、もっと大きいのが、
歴史として学ぶことの中には
「どうしても教訓を見出せない」ことも多いように見える
ということです。
例えば、化政文化や元禄文化をならっても、では自分が新しい文化を起こせるかといえば、そんなことはない。
ましてや二つの文化の違いを覚えることは、どうやって役立てていいのかわからない。
役立てるよりは、その違いを単に「面白い」と思えるかどうか、それこそ感覚、好みから入ることの方が多い気がします。
そして、それだと好みの問題になるから、「覚えたい人だけ覚えれば?」という気になってします。
さらに深刻な問題があります。
歴史の中には
「教訓にならない」だけならまだましで、
教訓どころか害になりそう
なことがあります。
有名なエピソードを出すならば、まず源平の争い。
平清盛に処刑される寸前だった14歳の源頼朝は、まだ幼いということで、たまたま命を助けられました。
ところが成人すると北条氏などの助けを借りて平家討伐を起こし、周知のとおり、最後は当時の安徳天皇を含め、平家の血をすべて絶やしました。
徹底していました。
次に同じ例として、徳川家康は豊臣家を滅亡させました。どう見ても意図的にやりました。
今回「日本の歴史」を読んで初めて知ったのですが、豊臣秀頼には国松という息子がいたのですね。大阪夏の陣のときに、わずか8歳で処刑されています。
頼朝、家康共に共通した方針は、
敵の血筋を徹底的に絶やすこと。
頼朝などは、弟義経の生まれたばかりの子どもすら殺していますから。
そのあと、鎌倉時代はそれなりに、江戸時代は世界史的にみてもまれなほど、存続・繁栄したことを思うと、頼朝・家康の方針は成功した・正しかったといっていいでしょう。
逆に、平清盛は結果的には詰めが甘かったことになります。
頼朝を殺さなかったばかりに平家の滅亡を招いてしまいました。
それならば、
この歴史から素直に学ぶとしたら、
「敵は徹底的にたたけ/滅亡させるべし」
ということになってしまいます。
また、同じく大阪城の攻防での有名な話があります。
大阪冬の陣で大阪城を攻めあぐねた家康は、一度和議を結ぶが、
和議内容と違って外堀だけでなく内堀まで埋め立ててしまった、というもの
(ウイキペディアで調べると、専門的にはいろいろと書いてあって必ずしも正確な表現あるいは史実ではない可能性もあるようですが、通説や「日本の歴史」ではそうなっています)。
この歴史上のエピソードから教訓を得るとしたら、
「成功のためには相手をだましてもよい」
ということになってしまいます。
これでいいのでしょうか?
常識的にいって、いいはずがありません。
しかし教訓説を素直にとると、このような矛盾がでてしまうのです。
(それにしても、本当に歴史って、非道徳的ですね。
子どものころにも、「こんなこと子どもに教えていいんかいな」と思いました。
ごく普通に戦争や裏切りや処刑、悲惨な最期とかがでてきますから。
しかもそれが、なんのコメントもなく事実として淡々と記載されているわけです。
現代の事件なら、新聞やニュースとかにはちゃんと、
「このような悲惨なことが二度とくりかえされないように」とか
「これは間違っている」とか、
筆者や番組の意見がなんとなくでも伝わるようになっているのですが。)
こう考えると、さすがに私はひととして、
教訓説ってどうよ?
と思うのです。
以上、教訓説への疑問でした。
次はCについての疑問です。 <続きます>