前のブログで、読解力とはなにかと書いているうちに、新しい発想がでてしまったので、

新たに続として書きます。

 

「読解力」とは試験用語、受験の時に使われる専門用語だ、ということ。

これをさらに言えば、

受験のときしか使われない言葉なのです。

 

逆に言えば、試験でしか試されない力ではないのか?と思う。

最初は「この文章の意味をわかっているかどうか」が読解力であったはずが、

いつの間にか、試験の問題が解けたら読解力があるということ、ということになってしまったような。

つまり、試験でしか役に立たない力なのです。

当たり前ですね。試験問題に答えられる力が読解力になってしまったのですから。

 

考えてみると、世の中は「~力」という言葉であふれています。

洞察力、直観力、イメージする力、発想力、共感力、実行力、行動力、非認知能力・・・

鈍感力、なんてのすらあります。

 

しかし、「これからは読解力が求められる時代です」というのは、聞いたことがない。

読解力の高い(国語の点数がよい)人が作家とかになれるという保証もない。

(これが数学だと、やはり数学ができる人は数学者になりやすい。

少なくとも、数学ができなくて数学者になれる人はいない。

そういえば、「計算力」なら、社会に出て役に立つ感じはある。すくなくとも読解力よりは。)

 

また、社会人になると、「もっと読解力をつけろ」などとは言われない。

むしろ、自分が文章を作る立場になって、なにかのレポートなりなんなりを書いたとすると、

「わかりにくい」

「もっとわかりやすく書け」

と言われることが日常茶飯事です。

でも、書く方がわかりやすく書いたら、読む方は高度な読解力なんていらないですよねえ。

 

つまり、「読解力」なんて、受験テクニックなのでしょう。

なんか、国語の点数をあげるには、「読解力を挙げることが必要」とかかかれたりするけど、

それは余分な回り道のような言い方だと思います。

 

まず読解力をつけて→それから国語の点があがる

 

のではなく、

読解力なんてあいまいなものはどうでもよくて、どうしたら点数をとれるか、

解法テクニックをみにつける→点が上がる

 

と考えた方が、シンプルだと思います。

 

ここでまた別の角度から見ますが、国語で厄介なのは、

「読解力をつけるためには読書をたくさんすることがおすすめ/大事」 的な言い方がされやすいこと。

すごく回り道じゃないですか。

 

もちろん、読書をすることの意義を否定はしません。

それどころか、個人的には私はどちらかというと読書は好きです。

また、読書することはいろいろ役に立つことも多いと思います。

問題は、勉強(受験)において点数をあげることを主な目的に読書をすすめることです。

 

他の教科を例にとりましょう。

理科の成績(点数)が上がらない。

そこで、自然観察とか実験を勧めるか?

社会の成績が上がらない。

そこで、博物館とか歴史遺跡を訪ねて回るか?

 

もちろん、自然観察をすれば理科の点数があがる可能性は高まります。

また、本来はそうした行動こそが、理科の本質ではあります。

また、それによって本人が理科の分野に興味をもったり面白さを感じれば、それが一番いいことだと思います。

 

でも、点数をあげようと思ったら、基本的にはやっぱり机に向かって勉強するのが直接的です。

「自然観察してないから/実験を1回もしてないから、この子の理科の点数は偽物だ」ということにはなりません。

長期的に、将来的に、ただ理科の点数がいいというだけで理系に進んだ子が伸び悩む、ということはあるでしょう。

でも、それは100%予言できることではないと思います。

逆に、生物は苦手だけど数学は得意で理系を考えている人に、

「生物を伸ばすためには自然観察と実験が大事だよ」とそうした実践を勧めるでしょうか。

理系科目と言っても色々なのだから、

「生物はいやかもしれんが必須科目だから、それはしょうがない。とにかく点数だけはとっておけ」

と机上の勉強をすすめるのではないでしょうか。

そのほうが効率的だし。

むしろ本来生物に興味がない人に、生物の点数アップのためと考えて自然観察を強要することになりかねないことです。点数アップに直接つながらない上に、本人は興味もないことに駆り出され、かえって理科が嫌いになってしまうかもしれない。

 

回りくどくなりましたが、

要するに、他の教科では、実学的な勉強(自然観察・歴史遺跡の訪問)は、

「やったほうがいいけど点数とは別物」という感じが強い。そんなことしなくても点数アップは可能なわけです。

下手をすると、虫取りは大好きだが理科の点数はいまいち、ということすらあるでしょう。

それに対して国語の場合、読書は、

「読書をしないと点数アップはなかなか難しい」という雰囲気が濃厚なのです。

それはなぜかといえば、上記したように、

「国語の点数アップには読解力を上げることが必要」

「読解力を上げれば国語の点数が上がる」

という、私に言わせれば神話があるからだと思います。 

 

繰り返しになりますが、国語の成績をあげるためには、

〇スタートは読解力を上げる勉強→そのうえで試験テクニックを少し勉強→点数アップ と思われてるから。

しかし、私の考えでは今や、読解力とは受験用語でしかないわけで、「読解力=国語の現代文を解く力」と丸々イコールなので、

〇スタートから試験テクニックを勉強→点数アップ

と考えるべきだと思うのです。

「読解力をつけるには?」と無駄に悩まず、「点数をあげるテクニックは?」という視点で工夫するのがよいと思います。

 

ただ、「じゃあ、その試験テクニックとはなにか」と聞かれると、答えられませんが。

しかし、別のところでも書いたように、試験テクニックをお伝えするのがこのブログの目的ではありませんので。

有力な一つの答えはふくしま式ですが。

また、「読解力をつける」といった表題のついている参考書等に書かれている内容についても、

その役立ち度についてはバラバラかもしれませんが、実際は受験テクニックが書かれていると考えていいかもしれません。

繰り返しになりますが、「この参考書を読めば『読解力(といった何やらすばらしいもの)』がつく」と思うのではなく、

「いい受験テクニック、のってるかな?」というのりで利用するのがいいと思うのです。

 


あと、蛇足ですが、私の実際に知っている方で、

小さいころから本なんか(少なくとも物語・小説の類は)ほとんど読まない、それでいて東大に入った人が2人います。

さすがに2人とも理系ですが。

「そんな人は実社会では役に立たないだろう」と思われるかもしれませんが、

きちんと社会人として生活してらして、1人は順調に昇進され、会社の管理職もされています。

管理職の方のほうは、やっぱり人とのコミュニケーションは大事にされているようです

(具体的には部下からも教えてもらう姿勢をとるとからしい)。

東大や管理職がいい、というつもりはありませんが、そういう実例もあるということです。

 

<まとめ>

・「読解力」とは受験の分野でだけ使われる専門用語である

・「読解力」=「現代文で高得点がとれる力」であり、それ以上の何かではない。

 読解力の高い人が国語が得意なのではない。国語で高得点をとったらその人は読解力がある、といえる

・社会にでて求められるのはわかりやすい文章を作れる能力である。

 わかりやすい文章が多いので、結果として国語の授業で勉強する高度な読解力など実社会では必要性がうすい

・「国語の点数を上げるためには読解力を上げないと」と考えるとややこしくなる。

 シンプルに、「国語の点数を上げるための試験テクニック(覚えるべきこと)は何か」と考えた方がよいだろう

 

<今後、書き足すかもしれないが、要旨はこれで終わりです>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(続く)