旅立ち、、、やはり涙 ⑴ | Qちゃんの日常

Qちゃんの日常

主婦Qちゃんのニュージーランドライフ。山あり谷あり、毎日のこと、最近、そして今までのことをブログに綴ります。

実家を出る最後の日。

 

朝は4時ごろに起きようと思ってたが、それまでに片付けもほとんど終わってたので、この時間に起きれば余裕もあるかなと、予定通り5時に起きた。

 

父はまだ起きてなかったようなので階下には降りなかった。

広島空港までは、最初は成田まで一緒に行くSちゃんの車で行こうと思ってたけど、父に送ってもらうことにしたので、特別な日だがいつもと同じようにして欲しかった。

 

いつもより早く起きたのでグレイ様は布団に入ったまま、、、少しして「何か違う」と感じたのか下に降りてった。

この日だけじゃなく最後の数日間、いや数週間は部屋の様子も変わって何かが違うからグレイの様子も違ってたように見える、、、住み慣れた家なのにキョロキョロしたりとか。

父もそれは何度も言ってて「グレイもわかるんかのぉー」と寂しそうに言いつつ、自分の座椅子に堂々と座るグレイの姿を見て嬉しそうに場を譲っていたし、気がつけば抱きしめてることが多かった。

それされるのを見るの大嫌いだったのに、やっぱり猫好きな父がグレイと別れるのかと思うと、あまり嫌に見えなかったね。

逆に、別れさせるのがかわいそうと思って「可愛がってくれてありがとね」とか「せっかく懐いたのに連れて行ってごめんね」と何故か謝ったりで、、、私が泣いてました。

 

最後の朝も座椅子を譲り、そのことをしんみりと感じてるように見える背中だった。

 

どうして今?猫が好きなら最初から気持ちを丸出しにして可愛がってくれればよかったのに。

勝手に連れて帰ってから!とか、『猫様が外に出ないようにして』と『夏のエアコン』のたった2つだけのお願いだったのに、頭ごなしに怒り散らしてて、約5年間のうち何度そのことで喧嘩しただろう。

寂しいよね、寂しいだろうよ、、、1度に1人と1匹が居なくなるんだもん。

私だって寂しいし辛いってわかってる?

 

最後の朝もご飯を炊いて、

最後に食べて置かねばと買った辛子明太子と、洗い物がめんどくさいのでインスタント味噌汁と新米はサイコーのご馳走だった。

 

荷物もなく、ガランとした部屋。

 

布団干しに、敷布団とカーペットラグを掛けた。

畳んで収めるよりは、次回帰省するまでこのままでいいだろう、、、父は「布団やなんかは畳まんでえーよ、天気のいい日に干すけー」と言ったが、そこまでの荷を残さんよ。

柿の枝を切ったり実がなったら収穫で2階に上がるぐらいで、年々しんどくて上がらなくなってるのに、ベランダに私の布団を干すなどやらせたくないもん。

屋根に上がるのは危ないからやめてと何回も言ったので、「もう屋根に上がったりせんし、無理して柿の実も取らんから」と言ってたが、無理をしなくて上がって取るんでしょと、、、

 

イザベラにも「ありがとう」と、NZから一緒に来てくれたこと、そしてこれまで見守ってくれたことにお礼を言い、「ごめんね」と連れてきてしまい天国に行ってしまったこと、今回NZに連れていけないことを謝った。

そして、「これからの長旅を見守ってね、グレイのことを守ってね、爺ちゃんのことも守っててね」とお願いをした。

半年前までは意地でも何とかして”連れて帰る”ことを考えてた、、、だけど朝の情報番組で仏教の教えや墓じまいのことをやってて、それを聞いたときに、そこにあるお骨はお骨であり亡くなった人やペットのことは心の中にいつまでも、、、みたいなことを言ってて、ハッと考えが変わった。

実家にイザベラを『置いていく』のではなく、ここで亡くなってここが今の『お骨』の居場所ででもイザベラは離れてもいつも私の心の中にいると考えられるようになった。

 

もちろん、さよならは悲しいし辛かったよ、、、イザベラが亡くなってからは毎日欠かさずお骨に話しかけて、寝るときは「おやすみグレイ、おやすみイザベラ、おやすみ**(娘)」がセットになっての1日の締めくくりだったもん。

だから、枯れるまで泣いた、、、弱って病んだときも「ごめんね」と泣いてたし、亡くなったときもこんなに涙が出るんだというほどドバドバと泣き果ててたが、今回もずっと泣いてた。

 

家を出る時間になり、父が先に車に行くのを見て、家の中の1つ1つの部屋とトイレと風呂場にありがとうと一礼し、お爺さん(父の父)の写真に「あなたの息子です、あなたの分まで長生きするように見守っててあげてください」とお願いした。

過去の帰省では、車に先に乗った父を確認してからいつも父に置き手紙をしてた。

今回ももちろん、そしていつもとは違った気持ちで書き、父も違った気持ちで読むであろう置き手紙だ。

 

広島空港へ向けて出発。

成田まで行って見送ってくれるSちゃんも一緒、グレイ様ももちろん一緒。

 

車の中では、「この子に次は何言われるんかと、いつもビクビクしとったんよ!」とSちゃんに話す父。

叱ったりした覚えはないのに、やはり人から何か言われる生活をしてこなかったからそう思ってたんだろうかなと、、、最後になってもそれ言うんか?と。

やっぱり私がいなくなって自由でホッとするのも本音なのかもしれんが、それを思い出のように楽しそうに話してるから笑ったわい、、、飲みすぎんのよと横から言ったら「飲まんわい」とか言ってたが、飲まないわけがない。

そう言いながら、「あんたがおらんでもちゃーんとするわいね、あんたがおらん間でもずっとそうしてきたんじゃけ」と、、、それでもこの5年間は少しだけ違っただろうにさ。

それにしても、運転も少々怖くて、だから最初はSちゃんの車で行こうと思ってたんだよねー。

ナビをちゃちゃっと触るんだが、その時間が本人はちょっとと思ってるがハンドルふらついて端に寄ったりで、Sちゃんも慌ててたわ、、、怖いよねー。

 

空港では駐車場に入れず横付けでいいからとあらかじめ言ってた、、来て見送られると泣いちゃうからね。

その通りで荷物と私たちが降りたら、父はクラクションを鳴らして帰っていった。

 

23年前、身ごもって帰省して、NZに移住を決めて荷物をまとめて旅立ったのもこの広島空港。

デジャブーかね、、、父もその話を前日にして「あの時はもう勘当同然だったけど、送るときに飛行機見えんくなるまで泣いとったんよ」と、、、私もずっと泣いとったわいと。

あのときも、独り置いて行く父に申し訳なく辛く悲しく寂しく、そして自分のこれからの生活も不安で機内でもずっと泣いてたよ。

 

まず多目的トイレへいき、グレイ様を解放。

吐いてなかったので安心し、これからの長旅のことを謝る、、、そして、頑張ろうねと。

 

チェックインカウンターには1人しかいなくて時間がかかった。

横の預け荷物をX線に通す所には3人もいるのに、この訓練生が忙しそうにしてるのを楽しんでるかのように気づかぬふりで、『スチュワーデス物語か?』と気分が悪かったわ。

私たち人間のチェックインもしながら猫様のチェックインも1人でして、ケージにネットをかけたりで、その間にも別の乗客が並び始めたりしてるのに、誰ひとり手伝いに来ない。

猫様を『先輩』がチェックするのに「少々お待ちください」と言い呼びに行ったときも、ずっと見てたがその呼ばれた女性は訓練生に返事をすることなく「呼んだ?」みたいな態度だったし、のんびり歩いてきてテキトーにケージをチェックして頷き小声で「はい」と言っただけで客の方を見ることもなく、なんじゃこれ?と思ったね、、、愛想もないんかと。

 

空港内をぶらぶら、昼時の便なので広島最後の食事をと何か食べてもよかったが、胸がいっぱいで何か食べようとかって気分にもならなかった。

ちょっとしたお土産も売ってて、小さなしゃもじのお守りがあったので父に買って自分にも買った、、安全運転にしようと思ったが健康長寿にした。

 

5年前のNZからの帰国と同じように、機長さんとCAさんたち宛てにカードを書いた。

あのときは、猫様が貨物室にいることを忘れて温度管理をしないなどとは絶対起こらないが「貨物に猫様が乗ってます」と念押ししておきたかった(何目線?)からカードを渡したら、機内では2度か3度かCAさんが「温度は24度に保たれてます」とか言いにきてくれた。

今回もこの手を使わない理由がないと、まぁ読むかどうかはわからんがカードを渡した。

たった1時間そこらのフライトだからなのか、それともこんな乗客は過去にいなかったからなのか、それとも全然気にしなかったのか、誰も何も言いに来なかったわ。

 

ANAを利用したが、久々の飛行機だからなのか座席が広く感じた、、、もちろん綺麗だしね。

広島さようなら。

 

羽田に着き、そこでペット輸送エージェントと初対面。

少し時間をもらい、多目的トイレでグレイ様を見て「偉かったね」と褒め、明日も頑張ってねと言い、エージェントに預けた、、、やはり涙が出てしまった。

 

そこからリムジンバスで成田へ、、、ホテル日航が日本最後の眠る場所です。

 

 

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