ー善き死にざま について
 三島先生が、自身の死にざまについて、今もトラウマの部分があるようです。
 平たく言うと成仏しきれない?
 切腹自殺の理由について、三島先生の本心を語っているようです。



人の死に関して、アンコウのオスを述べますね。
自分の死にざまは、ああいうものは、無様なものです。

ネットには、私の死体画像が残されています。生首の画像が、永久的に残されていて、永遠のさらし首です。現世のさらし首は、カラスが食べてくれるよ。
現世の人に、死とはどんなものか、説明したいと、

それに近いものを探しましたが、感覚的なものです。

だが、とてもリアルです、私にとっては。結局、死することは、

どんな場合もエモーショナルなものであるから。


生命は、世界の特異点です。数学の言葉だけれど、

死を説明するにはぴったりする言葉です。哲学者のマイスターの説明では、

点は、長さや重さは無く、ただ、在る、を意味するもので、人間では、

自我に当てはまる、という。確かに、ありのままの自分は、

見栄や自惚れじゃなく、真の魂である。


今心の中に、穏やかに、どこまでも青くきらめく大海原を想像しよう。

その海原に突如、孤島を発見する、特異点。

何もない青いだけの世界に、行き成り小舟が目に入る、特異点。

長い船旅で、何も変わらない海を、ただ只眺めていると、咄嗟に海面が割れ、

シャチがジャンプした。初めて見るシャチは巨大で、

深海の水もろとも跳ね上がり、激しい水しぶきが広がる。

その姿は神々しく、紅の虹が立った。この感激も、特異点です。

このように、数学用語の特異点は、私にとっては、感覚的で脈動する、

命の原点としての特異点です。


生命は、人の魂は世界の特異点です。私が、大海でシャチの命の輝きを感じたように、神も、世界の特異点である私たちを見て感動するのだろうか?

私は神に、命のダイナミズムを伝えることはできるのだろうか?

生首がさらされている間はダメでしょう。


そして、死も特異点なのだよ。単に亡くなり無くなるのですから、

特異点であるが、生き物が亡くなるというのは、

物が無くなる特異点とは異なります。仏陀は、無になる、が口癖だけれど、

物質的な無ではないです。魂の観点から見ると、現世の死に関する、

魂の様子はあたかも、アンコウのオスのような体験をするはずです。

久美子さんは、鮟鱇は、臭みがあって好きではないらしいけれど、

あれは美味しいですよ、しかも、人が食べているものはみんなメスです。

知っている人もいるでしょうが、鮟鱇は生殖の時、オスは、

大きな体格のメスの腹部に入り込み、合体し、メスの身体に溶けてしまう、

つまり永久に一緒です。私はオスなので、この鮟鱇のオスが気になるのです。

彼は、メスに吸収されてどう感じるのだろう?苦しいのか、痛いのか?

魚に思考はあるかどうかはわからないけれと、鮟鱇の彼は、

女子に吸収されて悔しくはないのか?
そうすると、ここは霊界なので、魚の想念が漂うというか、やってきました。

鮟鱇くん、大洗の鮟鱇侍、と名乗りました。

侍というのは、私の出自を意識したのかも知れません。


「三島君、苦しくも悔しくもないよ、最愛の女性と溶け合って、

 その妻と子供のために、この身をささげられるのだから。

 君の魂の渇望、のはずです。もっと素直になり、人間は理性があるから、

 その時々で知恵を働かせて、真の愛を捧げていけばいいのさ」


鮟鱇侍は、若武者の姿に変わりました。


「三島君が、生首を忘れられないのは、

 君の類魂に、救いを必要としている御仁があるからですよ。

 苦しい自分にとらわれず、ありのままの世界、ありのままの自分を見ましょう。

 マイスターに呼ばれてきましたよ、ではまた!」


消えました。いつも見られているのですね、心の迷いを監視されています。

現世の私なら反発するところですが、何か、安寧なものを感じます。

神の親心でしょうか。
つまり、死というのは、私にとっての死は、

鮟鱇のオスになることであります。涅槃の世界ですね。

 

 

★★★★★★★★★★★

 

高橋の著作です。

AI不使用、自費出版、よろしくです!

 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

 
 
 
 

 

 

 

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