お釈迦様は、時折来訪して、何かかしらのメッセージがありますが、

今日も、つい先ほど現れました。

私は、足の障害者で、10分立っているときつくなるのですが、

アトピーの家族があり、洗濯物は手洗いしています。

今も、足の痛みと闘いながら、洗面台に立っていました。

「足痛い、限界。でももう少しすすがないと」と心の中で呟いていました。

すると、背後に気配があり、「無理しないでね、ゆっくりやればいいよ」

という声がしました。

「家事は、家族のために奉仕する尊い仕事ですよ、

 久美子さんは、もっと自信を持って生きてください」 お釈迦様でした。

お釈迦様は、私の家事や雑事が終わるのを待っていました。

そして、こんなメッセージがありました。

 

 

≪人は日常の営みにこそ真理がある★お釈迦様の霊界通信≫

 

彼のイエス・キリストは、万霊への愛を説き、世の人々の諸々の悪を背負い

天に昇りました。天人として範となる真に尊い方です。

仏教では、愛は、性愛でなくても執着となり、必要としないものです。

愛が必要ないなどと、無意味な教えですね。

後世の仏教者はその無意味な教えに、なんとか真理を見出そうと探求し、

ブッダよりも分かりやすい教えを説いていますね、

それが、六波羅蜜や無財の七施などですが、解説は割愛します。

私が直接伝えたことではないので、何も言えません。

私の教えは¨縁起¨のみです。解脱する為に必要な理法です。

久美子さんは、「宇宙の初めのビックバンに戻り、

それは無かったことにしてくれと言っているようなもの」と言いますが、その通りです。

後世の仏教者は、縁起を世俗的に解釈し、

善行によって、幸せになるなどと簡単に言いますが、それは解脱では無い。

もっとも、一般人に教えるにはそれで充分なのかも知れないが。

 

私は、生前、今もですが、常に理法とともにあることを求めています。

厳密には、人間の立場ではそれも執着なのかも知れないが、理法は道です。

流れのようなものです。それに己を乗せる。

そうすれば、縁起の理法そのものさえも消えていく、深遠な高みがあるのです。

先ごろ知り合った、キリスト教の哲人によれば、私の説く理法は、

スピノザの言う神の属性の一つである、そうです。

スピノザの神の属性は、神の執着ではなく、自然の流れの一つ、理法です。

何故なら、神は自己原因であるから、それを否定できないのです。

仏教の教えは、無を目指しますが、世界は、神の属性と理法に導かれ活動します。

世界は、導かれるものであり、涅槃の境域であります。

仏教の教えは無になることを目的とします。その世界は、原因と縁の結果の組み合わせで、

原因と縁を無くせば、結果も無くなり、無になる、という簡単な理屈です。

しかし、因縁生起という理法は、スピノザの神の属性なのです。

スピノザの神は、究極の自己原因ですから、その原因を消して無になるわけには行きません。

神を消してしまっては、理法も消えます。2500年前のシャカの教えには矛盾がありました。

 

悟りには、二つの段階があります。 以前私は、

 

「目の前の物事に捕らわれることなく、受け流しなさい、

 そうすれば、心が波立つことなく、心身が穏やかになり、やがて道を見出すだろう」

 

と話しましたが、これは、第一の悟りです。

人が迷うときや、他者と争うときは、原因となる出来事を、いつまでも心に留め置くからです。

これが執着ですね。 物事にこだわらす、相手との違いを受け流していけば、

迷わないし争わない。そてこれは、表象に関する悟りです。

瞑想などの心の鍛錬で、一定の境地に到達します。

 

そして、第二の悟りですが、

 

「物事に捕らわれず、流れのままに生きて行けば、次の道が見える」

 

その道は、人の日常の暮らしの中にあります。

 

人の営みには、縁起や執着に因らない、自然の行為があります。

道を歩いていて、目の前に水たまりがあったとします。

当然、それを避けて通り過ぎますが、それは執着ではありません。

水たまりを避けるのは、汚れないための執着というなら、そのまま

水たまりの中をジャバジャバと歩くでしょうか? 不自然な行為です。

道という因があり、水たまりという縁があり、

それを避けるという果になったのでしょうか?

それも不自然な見方で、屁理屈というものです。

 

貴方の目の前に、泣いている赤ん坊がいます。

しばらく見ていますが、泣き止む気配はありません。

むしろだんだん泣き声はひどくなり、何か苦しそうです。

貴方はどうしますか? 貴方は母親でなくても、単なる通りすがりでも良いのですが、

このまま知らない顔は出来ないでしょう、抱きかかえて介抱するか、他人を呼ぶか、

場合によっては救急車を呼ぶなど、この状況に応じる行動をとるはずです。

この、大変そうな赤ちゃんに対して、なんらかの行動をすることには、

何か理由はあるのでしょうか?

赤ちゃんを助けるという行為に原因を問うのでしょか? 

緊急事態に直面して、相手を助けたり、助けを呼ぶというのは当然の行為です。

「私はどして赤ちゃんを助けなければならないのか?」などと、

人助けの行為を正当化する必要はありません。

困っている人を助ける、というのは人として自然の行為なのです。

相手を助けるという行為は、因果論ではないのです。仏教の考え方が違うのです。

 

私が言いたいのは、人の営みは、科学の実験のように決まった結果が出るものではない

ということです。第一の悟りでは、原因が分かり、それを受け取ってしまう縁も自覚できます。

生前のシャカが気づいた悟りは、世界のほんの一部を見て悟ったつもりになっていたのです。

それは、精神統一や瞑想などで、思考を訓練することで一定の境地に達します。

一種の思考技術なのですから、そこに真理があるわけではありません。

もちろん、解脱というもの、行者が、解脱した気分になっていただけのことなのです。

大切なものは、第二の悟りです。

 

第二の悟りは、以下のような心的状況の中に在ります。

 

   他人が困っている様子なので、声をかけた

   ハエが入ってきたので、窓を開けて外に出した

   少しでも地球にやさしくしたいと思い、ゴミの分別をちゃんとしたい

   お金は夫と子供が優先なので、自分のものは買えないことが多い

   世のため、人のため、家族のため、皆の笑顔が見たいから頑張る

   時給は多少安くても、感謝してもらえる仕事なら良いかな

 

このような思いは、日常のふとした場面で、自然に沸き起こる思いやりの気持ちですが、

これらは仏教では、陰徳と言われており、良い来世に生まれるための保身であります。

しかし、常識として、保身のために家族や他人に優しくはしない。

もちろん、一部には自分を良く見せるために、あるいは相手からの見返りを期待して

優しく振る舞う輩も居ますが、普段の暮らしの中では、他者への思いやりや、

感謝の気持ちというものは、人として当たり前の心です。

現世の仏教では、人は現世という色の世界に住んでいるのだから、

そのすべては消えるものである。人として大切な、思いやりや感謝の心も、

色であるから意味は無い、と考えるのです。

 

私は、霊界に赴いて、空は独りよがりであったこと、解脱は思い込みであったことを知りました。

その詳細は、また語る機会があるでしょう。

先ごろ、テレビで「真空とは何か?」という番組がありました。

地上で、真空にするには、密閉された容器からポンプを使い、空気を抜くと真空になりますが、

つまり、真空にするにはポンプが必要なのです。容器が自力で空にはならない。

宇宙に目を向けると、銀河団と銀河団の間には、星が無い空の領域があります。

しかしそれは、空に見えているのであって、ダークマターが存しているという。

そして、仏教の言う空も同様です。空は、空たらしめている背景があります。

空は、行者の精進だけではなしえないものです。

行者の意識や魂を空にするために、ポンプの役割を担う仕組みがあるのです。

空という状態を想定して、それに基づく解脱は、行者独りの努力で成しえるものでは無いのです。

 

宇宙は、深淵なる力によって、維持されており、滅びることはありません。

人間はその深淵な力によって生かされている、小さな宇宙です。

小さくても宇宙の端くれなので、深淵なる力を持っています。

 

第一の悟りは、悟って解脱して修了するのではなく、それを維持する背景があるのです。

生前の仏陀は、それに気が付かなかった。知りえたとしても、色の一つとして無視したでしょう。

 

第二の悟りは、宇宙においては、永遠を維持し、その進化を促すもの、

人間の世界では、愛と言われており、やはり、人間の社会を維持し、

地球と人類を未来に導くものです。

個人の心の中では、先に述べたように、日常の暮らしの中で、

他者への思いやりや、感謝の気持ちとなって現れます。

人間の心の中に、自然に沸き起こる、温かなな心情は、宇宙の深淵なる力の発現なのです。

 

つまり、人の普通の暮らしの中に、真理が隠れているというお話です。

少し考えればわかることを、くどくどと述べてしまいました。

では、これで失礼! 

 

 

え? なんかわからないけど、一方的過ぎる。。。

第二の悟りは、生命の営みを肯定している?

現世は消えていくものだけど、その一方で生命であるから、継続性がある?

ということかな、

 

 

   

   

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