私の家はスーパーを経営していたので、子供の頃から同級生に「なんでも好きなものを食べられていいなあ」と羨ましがられていた。
👤そんなことないよ、みんなと一緒だよ!
そう言いたかったが現実には違った。そう「なんでも好きなものを食べられた」のである(笑)
店の2階が住居だったので、夜お腹が空けば下の店に降りていって、お菓子でも果物でもなんでもつまみ食いできたのである。
親も細かいことは言わず、「売り物だからあんまり食べるんじゃないよ(母)」という程度。我が家の食卓は店の残り物なので、親も自分のことを棚に上げて、キツく子供を叱れない。
お菓子の新商品も、発売日より前に問屋から納品されて、フライングで食べることができた。それでみんなに自慢して、鼻が高かったことを覚えている。
昭和の時代は今のようにお菓子の種類が多くなく、みんなが同じお菓子を食べたものである。それゆえに商品の寿命が長く、子供心に思い出に残るものが多かった。お菓子が贅沢品だった頃の話である。
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さて、週刊女性が「昭和時代に幼少期を過ごした40歳以上70歳以下の大人男女にアンケート」を取ったというこの記事。
☝️『今でも好きな“昭和”のお菓子ランキングTOP10』
時代とともにお菓子の楽しみ方も変化している中、昭和から令和まで「生き残り」、栄光をつかむのはどのお菓子でしょうか?
【10位】明治『きのこの山』 ('75年)
→「きのこに似せてチョコをかける」なんて発想はまさに日本メーカーのセンスだと感心する。そしてあの「相棒」はランクインしてるのか…。
【9位】 東ハト 『キャラメルコーン』 ('71年)
→あのキャラメル味は衝撃でした!袋いっぱい食べて気持ち悪くなりました(^^;
【8位】 森永製菓『エンゼルパイ』('61年)
→韓国映画で「チョコパイ」がたまに出てきますが、あの当時チョコレートでコーティングする贅沢さを感じました。「こんなの食べていいのかな…?」と。
【7位】 森永製菓『チョコボール』('69年)
→箱の「金と銀のエンゼルマーク」を集めるともらえる「おもちゃのカンヅメ」、でも当たった人を見たことがない。金のマークが出てきた時のあの喜びは、パチンコで「777」が揃った時の感激と同じです(私見)
【6位】 湖池屋『ポテトチップス のり塩』('62年)
→「小池屋」でなく「湖池屋」だと知ったのは大人になってからでした。今でも定番のおいしさです。よくカルビーに負けないで生き残ってくれました。ありがとう!
【5位】江崎グリコ『ポッキー』('66年)
→「プリッツ」にチョコをかけただけなのにこの人気!イチゴ味やキャラメル味、アーモンドをまぶしたり…。やはりバリエーションの展開がロングセラーの秘密かも知れませんね。まさか「お酒のつまみ」にまでなるとは思いもしませんでした。
(「きのこの山」ってポッキーのパ◯リかも?)
【4位】 明治『たけのこの里』('79年)
→『きのこの山』に遅れをとること丸4年、ライバルを圧倒しました!最高の「二匹目のドジョウ」とも言えます。さて皆さんは「きのこ派orたけのこ派」
☝️さていよいよTOP3
【第3位】 カルビー『ポテトチップス コンソメパンチ』('78年)
→最初「コンソメパンチ」ってどんな味だ?って思いましたね。子供心に「コンソメ」なんて知らない言葉だったし、なんかお金持ちになった気がしました。そして今よりずっと中身が多かったです。
【第2位】おやつカンパニー『ベビースターラーメン』('59年)
→皆さんどれだけ食べたことでしょう?ピーナッツが入ったり、辛くしたり、塩味も出したり、終いにはあの人をバカにしたようなナルトや2、3粒のコーンが入ったカップ麺まだ作りました。どれだけ日本人の小腹を満たしてくれたことか。きっと後100年もスーパーで売ってます。断言します!
⭐️そして栄えある【第1位】は
カルビー『かっぱえびせん』('64年)
→日本人全員が「やめられない、とまらない♪」というキャッチフレーズに洗脳されました。そして食べる時にもそう言いながら食べます(笑)
以上が、TOP10の『お菓子のレジェンド』です。これ以外にも皆さんが個人的に推したいお菓子があると思います。
それを含めてこのお菓子たちは『日本の宝』と言ってもいいでしょう。こんなロングラン商品を毎日食べられる私たちは、とても幸せなのかも知れません。
👥 改めて世に出してくれたお菓子メーカーに感謝いたしますm(_ _)m