著者の林晃さんは1941年生まれ、岡崎茨坪伝道書の牧師、と紹介にあります。題名に惹かれて購入したのですが、私にとっては極めて新鮮で新しい視座を与えてくれる書であります。キリスト教会では「聖書は完全なる神の御言葉」「一言一句間違いの無い神の言葉」「聖書は絶対」と教えられ、その根拠は?などとは質問できない雰囲気に包まれています。福音書は勿論イエスの実像であり、虚像などと言う概念は全て排されます。林氏は4つの福音書を細かく比較して、その著者の意図や宗教性や時代背景を研究され、正に「イエスの実像と虚像」をえぐり出しているのです。例えば「山上の説教はイエスが説教をしたという体裁をとっているが、実際の説教者はマタイである」とおっしゃっています。「マタイは巧みな編集者であり、また著作者、創作者である」とも。こう考えると、実際イエスが言ったであろう言葉に対して、マタイやルカがどのように考え装飾していったか、という事に趣が向きます。実際イエスが語った事は次のようである、との研究がなされています。
 
 幸い、貧しいもの、神の国は彼らのもの。
 幸い、飢えているもの、彼らは満腹する。
 幸い、泣いているもの、彼らは笑う。
 
マタイは、「こころの貧しいものは幸いである」と言い、ルカは「貧しい人々は幸いである」と言いました。「こころの」が付く付かないについては色々な解釈があります。しかし、さらに興味深いのは「幸い」にはbe動詞が付かないので、「幸いである」とも「幸いであれ」とも訳すことが出来る、と林氏は語ります。どう捉えるかでイエスの言葉もずいぶん変わってくるのですね。
このように、福音書を比較すると色々な解釈が生まれ、本当にイエスが語った事は何か、福音書の著者が意図したこと創作した事は何か、それぞれの著者の宗教的背景はどのようなものだったか、などなど色々な方向に想いを馳せる事が出来るのです。
「聖書は神の啓示による真実のことば」と言う概念を離れると、がぜん聖書が面白くなってくるのです。ふと、こんな牧師さんがいる教会ならば毎週通いたくなるだろう、と思った次第です。
山上の説教については12項目、マルコの福音書については24項目、全く新たな視点で聖書に向き合える、興味が尽きない書物です。