なぜ日本にキリスト教が広がらないのか、と言う記事や動画が沢山あります。キリスト教徒からの視点、仏教側からの視点、色々あります。キリスト教側から見れば日本にキリスト教が広がらないことを、当然ながらマイナスと見ています。受け入れないのは文明人ではないかのごとく非難される。前のブログでその分析をしたのですが、その続きです。

 神社が全国に数多にある日本、そこに行けば祈りや願い事を唱えることができます。難しい教義はありません。樹齢何百年の杉がうっそうと茂った境内に身を置けば、良い霊気を受けたような感じになります。寺院も数多あります。やはり手を合わせれば何でもお願いできる、難しい教義はなく南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、と唱えれば救われる。そんな歴史を生きてきた日本人に、小難しいキリスト教はいらないのです。なぜ、十字架に架けられて死んで三日後に生き返って昇天し神の右の座についたイエスキリストを信じなければ絶対救われない、のか?この根本の教義を理解しているクリスチャンがいかに少ないか、と言う事を知っています。だって聖書にそう書いてあるから、牧師先生がそう言ったから、救われると言う事が分かればそれでいい、と言う人が殆どだろうと思うのですが、教義そのものが難しいのです。旧約聖書の生け贄と神の許しを理解しなくてはなりません。小難しい話は御免なのです。日本の神社仏閣へお参りするだけで信心を持てるし願いを唱える事が出来る。簡単でいいのです。もはや小難しいキリスト教は不要なのです。キリスト教を唯一の真理だと捉えている人は、日本の現状を見てこう嘆いているのでしょう。・・・・木や石で出来た神々に祈っている、偶像礼拝の極みだ。神社仏閣へ行って祈ることは家内安全商売繁盛と言う低次元なものばかり、本当の神への冒涜にほかならない・・・・。私が見れば、ナザレのイエスという人間を神に祭り上げた最悪の偶像崇拝宗教。教会で祈られる事は家内安全商売繁盛とレベルの違いは殆ど無い、のです。祈りについては過去の記事に書きました。

 徳川家康には感謝しています。南蛮貿易で富を追うばかりでキリシタン弾圧をせずにいたら今の日本はなかったであろう事は容易に想像出来ますから。ただし、日本の宗教教育のお粗末さは指摘せねばなりません。キリスト教とな何か、仏教徒は何か、神道とは何か、と聞かれて明解に答えられる人は極く少数であることは嘆かわしいです。ユダヤ教・イスラム教・ヒンズー教・他色々な宗教についても同様です。こんなていたらくだからカルト邪教が跳梁跋扈して社会悪になっているのです。洗脳されてしまう人があまりに多いのです。クリスマスの意味も分からずクリスマスがどうのこうのといっている人々があふれるこの社会で生きていくのがつらい、と感じる時もありますが、12月25日が過ぎればどうでも良くなりますから・・・・。