預言者、つまり神の言葉を預かる者、であります。wikipediaによると、・・・預言者(よげんしゃ)とは、預言すなわち霊感により啓示された神意(託宣)を伝達あるいは解釈し、神と人とを仲介する者。宗教における祭司が預言者となる場合もあり、しばしば共同体の指導的役割を果たす。・・・    

 旧約聖書の預言者は・モーセ・サムエル・エリヤ・エリシャ・イザヤ・エレミヤ・ダニエル・ヨナ等が挙げられます。モーセ5書が書かれた(編纂された)のは、モーセが生きた時代より数百年後ですから,モーセという人物は実在なのかは分かりません。(架空だと思います)イザヤ書には有名なキリスト預言がいくつも記されています。ダニエル書には終末預言が、エゼキエル書には終末戦争が記されています。いずれも難解な書物で解説付き出ないとよく分かりません。いや解説されてもよく分からないのです。霊感により啓示された神意を伝達する、と言ってもよく分かりません。どのように霊感を受けたのか、それが神からのものとなぜ分かるのでしょうか。また霊感を受け取った預言者は誰が預言者としてのお墨付きを与えたのでしょうか。旧約聖書を読んでも分かりません。神様がお墨付きを与えなければ預言者の資格はありません。もしそうであっても誰が証明できるのでしょうか?多分その時の王様がお墨付きを与えたのでしょうが、王に逆らって忠告を与えた預言者もいますから、安易にどうのこうのいうのは拙速です。アンタ聖書のこと全く分かってねえな、と言われそうですが、あえてこう言います。預言者が預言をした、のではなく、その時々の宗教において都合の良いように宗教書に預言者を登場させた、のではないでしょうか。モーセ5書の成立の過程を見れば、あながち外れた考えではないでしょう。(と勝手に思っています)

 預言者とは呼ばれませんが似たような役割のパウロはどうなのでしょう。使徒パウロと呼ばれますが、神としてのイエスから啓示を受けたとされているのですから預言者と同等であると言えましょう。しかしながら一体誰がパウロに使徒のお墨付きを与えたのでしょう。王様でも原始キリスト教団でもありません。いや、イエス本人から直に声をもらってお墨付きを得たんだよ、と言われそうですが、復活のイエスがパウロに現れた場面・有名な目からウロコの場面、それは結局パウロの一人芝居、狂言なのであります。いや、「同行していた人たちはイエスの声を聞いた」と聖書にある、これが証拠だ、と言われそうですが、どうとでも書けるるのですよ、その時の著者や教団の目論見次第で。つまりパウロは自称使徒であり、ニセ使徒、インチキ使徒(これは言い過ぎ)、とも呼べるのです。しかしパウロは類い希な才能の宗教者であったに違いありません。どうすれば宗教組織を作れるのか・大きく出来るのか・信者を沢山集められるのか・どのような教義にすれば人々を支配できるのか、そしてどのようにして世界宗教たるものを作ることが出来るのか。パウロの頭の中には青写真があったのです。パウロ書簡の中には、イエスがどんな人物であったのか、どんな行動をしたのか、どんな言葉を残したのか、は殆ど書かれていません。パウロ独自の神学や鬱屈した精神から出てくる細々としたパウロ律法と呼べるようなお説教が殆ど。これで何がイエスの使徒なのでしょう。あの世のイエスがパウロを見たら「このたわけ者めがっ」と言うに違いありません。

 旧約の預言者、新約の預言者=パウロに対して疑問を投げかけてきましたが、ではそれ以降の預言者とは誰でしょう。バチカンのローマ法王ではないでしょうか。イエスが私の父以外を父と呼んではならぬ、と言ったと聖書にあるにもかかわらず自らをパパと呼ばせ、欧州暗黒時代の十字軍・異端審問・魔女狩りを命令し、トルデシリャス条約を発布してスペインポルトガルにアジア中南米を侵略させ植民地化して、悲惨な歴史を作り出してきたのです。

 一神教の恐ろしさは預言者の存在があってこそなのです。十戒には「殺すな」と書かれているのに、預言者によって「神の命令である、殺せ」とすることが出来るのです。上官の命令は天皇ヘーカの命令と同じである、と似ています。「全世界へ行って福音を宣べ伝えなさい」と福音書にあります。イエスの命令です。イエスの命令も神の命令です。カトリックは全世界(アジア、中南米)へ宣教師を送り込み福音を伝えさせ、その後軍隊を送り込みました。この構造はパウロやイエスの弟子やその系列が作り上げた宗教戦略が土台となっています。ユダヤ教は民俗宗教なので異邦人には宣教しませんが、彼らによって福音書に「全世界へ行って福音を宣べ伝えなさい」と言うイエスの命令がでっち上げられることにより、世界宗教の道が開かれて行くのです。全く迷惑な話でしかありません。