驚きの連続だった「アマテラスの暗号」

一番の衝撃が、秦河勝のお墓が私に馴染みのある赤穂・坂越にある、でした。

漸く、実家に帰ったついでに行くことにしたわけですが、

『もしかしたら所縁があるかも』と書いていたのが、全然違う所であったのでしたビックリマーク

 

ということで、長い前振りからにひひ

 

坂越への行き方を確認しようとGoogleマップを見てみると、相生にも大避神社を発見ひらめき電球

(左下に赤穂城跡が入るように切り取りました)

 

『どこにあるんやろう?』と拡大していくと、、、

那波(なば)

私の行っていた中学校の隣叫び叫び

しかも数十年振りに反対側の隣にある図書館のことを思い出した翌日でした。

 

そんな所に神社が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あったひらめき電球

お参りはしたことないけど、、、、、

ケンカする場所でした。

那波中では『校舎の裏』ではなく『神社』だったのです爆  笑

(育ちが悪いのバラしてますw )

 

通学路が図の赤点線だったので、すぐ横を毎日3年間通ったことになります。

 

ということで、先にこちらの大避神社に立ち寄ることにしました。

ただ、各地にある稲荷社や天神社のように無人の小さなお社があるだけと思ったのですが、これも大きく反していったのです。

 

中央公園から入って行きますが、入口にいきなり秦河勝に関する碑が。

「秦河勝播州漂着説之事」とあります。

船の帆のようになっているのがオシャレグッド!

 

坂越に着いた説を紹介しつつ、ここ那波に着いてから坂越に移ったとの説が書かれています。

戦後造船世界一になった良港ですから、あり得たかも知れません。

 

お参り。

所々新しくなっていたり、きちんと整備されていたり。嬉しかったです。

 

お社の中に由緒書きがありました。

 

これによると、聖徳太子亡き後、蘇我入鹿の迫害を避けここに漂着した、とのこと。

 

私が読んできた中で「那波」が歴史上登場するのは別の時代。

後醍醐天皇が隠岐に流される時に立ち寄った時(だったはず)。

実はこの後更に2つ所縁の場所があることもあり、吉川英治「私本太平記」(しかも1巻の表紙は後醍醐帝!)をお供にしていたのでした。

 

しかし、予想外の秦河勝推しにテンションが上がってしまいツーショット撮るのを忘れたので、後の地での写真と合成でにひひ