(会津と長州・・・前置きが長くなります)
数年前、「飯盛山で自刃した白虎隊士の生き残りが長州で養育されていた」という山口ローカルのTV番組を観てビックリしました。
現代でも会津人は長州人(=山口県人)にわだかまりを持っているほど会津戦争の恨みは晴れていない、とどこかで読んで信じていたからです。
実際、山口県に住むようになって知り合った人からは直接、『そのために福島の方に行った時に嫌な思いをしたことがある』、と聞いいたことがあります。
この小説を読む機会に調べてみると、
・”会津の恨み”は「観光史観」というもので後世になってから作られたものであること
・そもそも会津戦争の主力は薩摩・土佐だった(「八重の桜」の通りでした)
・戦後処理の酷い仕打ちも長州人はあまり関係なく、また仕打ち自体にも誤解がある
などなど
また、この本の解説では、倒幕以前の長州と会津の深い交流があったことを挙げられていました。
(「八重の桜」で小栗旬さん演じる吉田松陰が会津に立ち寄ったのも史実だったようです。てっきり無理矢理なフィクションだと思ってました)
私の歴史観で結構大事な所、
ブロガーさんの記事でこの作品を見掛けて漸く正すことが出来ました。
ただ、この話が知られるようになったのはほんのここ10年のことのようです。
冒頭のTV番組はこの新説が出て来たタイミングで作られたのでしょう。
さて、
白虎隊の生き残り飯沼貞吉と、長州へ連れ帰った楢崎頼三と支援する松野礀(ハザマ)の2人の長州人の物語。
最も古風な武士気質を持っていたと言われる会津藩士、
まさに想像を絶する「生き残ったこと」、「敵国へ来たこと」への気持ちだったでしょう。
時に厳しく支える周囲に私も救われつつ読み進めました。
会津-長州の関係を越え、生きる意味も教えてくれます。
長州の後は、静岡浅間神社~広島と私と所縁が深いのでした。
その足跡をたどるように、会津に行かねばなりません。
山口県人になる前に一度行ったきりです。
作者は植松三十里さん、初読みでした。
とても読みやすい文章で一気読みでした。
近年女性作家の歴史秀作が多いように感じます。
これからも楽しみです
あ、もう一つ広まっている誤解も解いてくれました。
白虎隊が自刃を決めたのは、「若松城が燃えているのを誤認したから」ではなくて、「若松城に生きて戻れる見込みがなくなったから」。
昨年の大河ドラマで徳川慶喜公が再評価されました。
影響力のある映像作品で誤解が解ける日を。