久々の新規城攻めでした。
これで漸く50。
全国には3000とも言われていますが、そこまで行かなくても、100名城と言われるものでも続と合わせて200。
まだまだ楽しめます
さて、小倉城天守への近道は八坂神社の拝殿横をすり抜けるようになっています。
これも面白い造りでした。
本丸へ出ると最初にあったのが着見(つきみ)櫓。
「月見」の変字かと思ったら、船が到着するのを監視する櫓だったそうです。
そして、現在はお漬物屋さんとして使われているとのこと。
時間がなく寄れなかったのが残念!
少し進むと、武蔵と小次郎!
そう、すっかり山口県のものになっている巌流島ですが、決闘はあくまでも細川時代の小倉藩であったのでした
この後、天守内でも3階ワンフロア―全てが武蔵と小次郎の展示でした。
その展示では武蔵の生まれは播州(諸説あり)となっていました。小次郎は越前(諸説あり)でしたが、播州生まれの岩国在住の私としては、なんとも面白い空間でした
その像から左手を見ると天守でした。
連立式だったのですね
そして、鯱が青い!(銅製?)
天守の写真や映像は何度も見て来ましたが、実際来てみて気付くものがいっぱいあります。
近づいて見上げる。
いや~立派です。
1階の床面積の広さは全国トップクラスで姫路城より広いとのことでした。
野面積みの石垣もいい
復興天守ですので、中は博物館です。
綺麗で、映像や人形などで楽しく学べるようになっているので、ちょっとしたテーマパークのようでした。
こちらは島原の乱の時の軍議の様子再現。
幕末四境戦争では負けて城に火を放って退却することになってしまいましたが、そんな中、士道を貫いた人たちの逸話もあって良かったです。
最上階がまた綺麗で落ち着く空間でした
外の景色は庭園側で
あっ、鯱と目が合った(笑)
天守を出て次の目的地へ
その途中にあった第十二師団の碑。
西南戦争の時にはその前身の歩兵第十四連隊(だったかな)を率いて乃木将軍(当時は少佐?)がここから出征していったのもありました。
時代時代でいろんな舞台になった九州の要、良く分かりました。