お城近くにプラスアルファがないかと地図を眺めていたら、
お城から矢作川を渡って程近くに”大友皇子”関連の遺跡が
三河って戦国時代だけじゃなくて歴史が凄い。
GWの安・近・短&ノー人混みin三河ということで、巡って来ました!
まずは、国道1号線から入って直ぐにある大友皇子御陵遺跡。
住宅街の一角。まさに一角でした。
比較的新しくて立派な石碑があります。
石碑には「遺跡」だけで何の遺跡かは分かりません。
大友皇子が詠んだ漢詩が刻まれた石碑もあって雰囲気十分です。近江を淡海と書いているのがまたいいです。
古い石碑もしっかり残しているのでしょう。
周辺の植木も手入れが行き届いて、大切にされているのが分かりました
次に、少し北の神明社。
社記に、皇子が壬申の乱後落ち延びて来た事から、社の変遷が詳しく書かれています。
もちろん、祭神には大友皇子(弘文天皇ではないのですね)。
そして、猿田彦命。
因みに、火の鳥「太陽編」の近未来では、対立する組織のリーダーが、大友と猿田でした。
社殿横に大友皇子丸藪之館跡の碑。
側面には「壬申の乱一千三百二十年記念」
次にキリが良いのは1350年記念となる2022年。何かあればその時また来たいですね。
もう少し足を延ばせば、もう一つゆかりの神社や墓陵伝説がある古墳があるとのことでしたが、大友皇子関連はここまで。
ヤマトタケルにしろ義経にしろ信長にしろ光秀にしろ、悲劇のヒーローが実は生きていて・・・という伝説は良くある話です。
この地も「大友」という地名が先にあって、その後付けかとも思ってましたが、この後行く古墳群、宮内庁治定の皇族陵までが直ぐ近くにあることを思うと、大友皇子本人でなくても、近親者が落ち延びて来た可能性は十分にありそうだと思いました。