大塚善章さんに、こんなのするよ〜と教えていただいて、エイズ啓発ジャズフェスティバルに行ってきました。

https://www.jfap.or.jp/various/pdf/AIDS_Awareness_Festival2023_osaka.pdf

 

私は何も考えずに「お昼間にジャズが聴けるんだ」と中央公会堂に行きましたが、エイズ啓発のためのイベントなので、本当はもっといろんな催しがあったようでした。

ちゃんと見ずに行って、ジャズフェスしか参加できなくて、ちょっと申し訳ないような残念な気持ちになりました。

 

ジャズフェスでは、中学生、高校生の演奏もあったのですが、彼らの頑張りにもう胸がキュッとなってウルウル🥺

ビッグバンドは中学生です。

先生のお話では、昨年3月までランドセルを背負っていた子どもたちが2/3もいるそうです。

なかなか頑張っていました。

 

また夕日丘高校には音楽科というのがあるそうで、そこの高校生たちは合唱を聞かせてくれました。

ボブ・チルコットという人のミサ曲でした。

それがまあ美しいのなんの!!

高校生たちはそのラテン語の歌詞を全て覚えて、その歌をきちんと表現していたのに驚きました。

私にとって、音楽はこんなふうであって欲しいというものを この若い人たちが見事に表現していました。

とっても感動しました。

 

そして、プロの皆さんの演奏。

第一音から「さすがビックリマークビックリマーク」と思いました。

行ってよかった。音楽を奏でる喜びを思い出しました。

 

でもね、書きたいのは白阪先生のお話です。

エイズ予防財団の白阪琢磨先生です。

音楽と音楽の間に、先生がエイズについて、とってもわかりやすく説明してくださいました。

良い薬が開発されていて、今は死を恐れる病気ではないこと。

日常生活で移ることがないこと。

治療しながら結婚したり子供を持ったりすることも可能であること。

そして、決して差別してはならないということ。

私、本当に感動しました。

先生の一つ一つの言葉の選び方、お話しぶり、それらから先生の生き方がはっきり伝わってきました。

日常的にご自身が自分の中に差別感を絶対に許さないで生きてこられたことがわかりました。

それはエイズ患者だけではありません。

あらゆる差別を許さない方なのだろうと思いました。

 

長く生きてくると、それらが少しずつ曖昧になりがち。

あるいは、知らず識らず身につけてしまったものに気づかないことがあると思うのです。

先生は、小さな子供について話すときも敬語を使っていらっしゃいました。

それは、私に深く入ってきました。

 

大阪弁はフレンドリーで温かい。

でも、一方では乱暴なこともあります。

いわゆる暴力的というのではないけれど、あまり繊細じゃない神経の方がいいというような風潮になりがち。

そのことを反省しようと思います。

 

私は、自分が使う言葉をもう一度、ゆっくり確かめながらお話しすることにしたいなと思いました。

全ては繋がっている。

エイズについて知って、差別をしないことの大切さを改めて思って、私は使う言葉を大切にしたいと 再び思うようになりました。

 

今まで知っている人たちに急に言葉を変えるのは難しいけれど、やって見ましょう。

頑張る💪