イ・ソンゲは朝鮮建国の頃になると弱気な面がちょいちょい出たように思います
戦に強い地方出身の武将も いざ国のトップに立つとなるといろんな迷いが生じたのでしょうか
そんな時に現れた女性が21歳年下のカン氏でした
権力も富も有した家柄の彼女はとても賢く イ・ソンゲの出世に大きく貢献していきます
財力・ネットワーク・知恵に加え精神的な強さまで兼ね備えていた神徳王后
イ・ソンゲにとって彼女は心から頼れる存在だったのかもしれません
だからこそ建国に尽力した息子より王后を政治のパートナーにしてしまったのでしょう
その結局 神徳王后は自分が生んだ息子を世子にするのですが
この頃からイ・ソンゲの歯車は狂ってきたようです
神徳王后が亡くなるとイ・ソンゲはいつまでも彼女を偲び
新たに側室を迎えても心は晴れなかったといいます
正妃の息子バンウォンは結局 神徳王后が生んだ義弟たちを殺害するのですが
この時のイ・ソンゲといったらオロオロするばかりで
勢いのあった若かりし頃の姿はどこにもありません
子供は王になれませんでしたが 少なくとも彼女は朝鮮王朝初代王后として名を残しました
태조(이성계)가 사랑한 신덕왕후
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