イ・ソンゲが愛した神徳王后 | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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イ・ソンゲの継妃 神徳王后(신덕왕후)が眠る貞陵(정릉)にやってきました



夏は木陰が気持ちいい~





正面に十字閣



その奥に神徳王后が眠っています

神徳王后は朝鮮王朝を建国した太祖(イ・ソンゲ)の2番目の奥さん

正妃は建国前に亡くなっているため 彼女が朝鮮初代の王妃とされています


正妃には6人の息子がいましたが 神徳王后は自分が生んだ息子を王位継承者にするなど

政治にもかなり関与しています



神徳王后が病死すると太祖は泣き崩れ

陵(墓)の場所を自分の足で探したとか


こうして立派な陵と さらには冥福を祈るための興天寺を完成させたのですが

正妃の息子バンウォンが王位につくと その陵を現在の場所に移してしまいます





通常 紅門から直線状に陵があるのに対し こちらは90度曲がったところにあります


また陵の前の平らな石は通常4~5個の石で支えられているのに ここでは2個のみ

随所にバンウォンの意図を感じます



さらに彼は

立派な以前の神徳王后の墓石を清渓川の広通橋の土台として使い 

逆さまに積み上げるのです





現在の貞陵は一応王后としての体は守られていますが

例えば 川にかかる橋にもどこか「やっつけ感」を感じました

説明では


1409年 太宗が都城内にあった貞陵を現在の場所に改葬

1669年 顕宗の時代に貞陵に復権 現在の形になった


とあるのでバンウォンが改葬した時はもっと簡易的な墓だったのかもしれません


朝鮮建国に尽力した正妃の息子ではなく 自分の子を王位継承者にした神徳王后

そしてそんな彼女をを愛した父イ・ソンゲ

何もかも許せなかったバンウォンは神徳王后が亡くなった後も冷遇するのでした



少し歩いてみました


近所の園児たちが遊んでいました


チュンチュン











정릉은 태조의 두 번쩨 부인 신덕왕후를 모신 곳이다




地図 コネスト

地下鉄4号線「誠信女子大入り口」6番出口からマウルバス(22)に乗って「貞陵」下車



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