英祖のここが気になる | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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子育ての視点から王族を見るシリーズ


英祖は政治手腕を評価されている王の一人ですが

こと「親」という視点からみると不思議なことが多いです


思悼世子への態度はどんな理由を並べても

結局は大っ嫌いってことだったんでしょ!と思えてくるほどです





王子

  • 長男:孝章世子(嬪の子)
  • 次男:荘献世子(映嬪の子)

王女

  • 長女: 和憶翁主(1717年-1718年、靖嬪の娘。 夭逝。)
  • 次女: 和順翁主(1720年-1758年、嬪の娘 姉が夭逝した為事実上長女)
  • 三女: 和平翁主(1727年-1748年、映嬪の娘、難産の為死去。)
  • 四女: 翁主(1728年-1731年、映嬪の娘。夭逝。)
  • 五女: 翁主(1729年-1731年、映嬪の娘。夭逝。)
  • 六女: 翁主(1732年-1736年、映嬪の娘。夭逝。)
  • 七女: 和協翁主(1733年-1752年、映嬪の娘、子女なし。)
  • 八女: 翁主(1735年-1736年、貴人趙氏の娘。夭逝。)
  • 九女: 和緩翁主(1737年-1808年、映嬪の娘、1女を産んだが夭逝。夫の遠縁の鄭厚謙を養子に)
  • 十女: 和柔翁主(1741年-1771年、貴人趙氏の娘、1男1女を儲けた。)
  • 十一女: 和寧翁主(1752年-1821年、廃淑儀文氏の娘、1男を儲けた。)
  • 十二女: 和吉翁主(1754年-1772年、廃淑儀文氏の娘、1男2女を儲けた。)

wikiより   漢字が多すぎてコピペしちゃった ヽ(´Д`)ノ



英祖の子供たちはほとんどが幼い時 あるいは若くして亡くなっています


英祖がファワン(和緩)翁主を溺愛したのは有名な話で

正祖の母・恵慶宮は「奇愛」とまで表現しているほどです

でも最初から愛された訳ではなく 姉たちが亡くなってからのようです


三女のファピョン(和平)翁主は当初から可愛がられ 

結婚してからも夫婦で宮内に住まわせたといいます


では娘をみんな可愛がったのかというとそうでもなく 

七女のファヒョブ(和協)翁主にはかなり冷たいんです

英祖は嫌な言葉を聞くと必ず耳を洗ったそうですが その汚れた水をファヒョブ翁主の住まいに捨てさせたり さらには同じ宮内に住むのも嫌がっていた様子

明らかに他の姉妹とは接し方が違うのです


なんでもファヒョブ翁主が生まれた時 英祖は「また女か…」と思ったらしく

確かに王家にとって男系子孫を残すことは大事なことですが

だからといってそこまで冷たくする理由になるだろうか、と思ってしまいます


荘献(チャンホン)世子とファヒョブ翁主には極端に冷たかった英祖

けれど荘献世子が亡くなると「思悼」という名を贈り

ファヒョブ翁主の墓からは嘆き悲しんだ英祖の心情を綴った石板が見つかっています

・°・(ノД`)・°・ 生前に優しい言葉をかけてあげてほしかったよーー


溺愛と無視

王として立派な英祖も親としては首をかしげたくなることが多いです


맹목적인 사랑과 무시



子育ての視点から王族を見るシリーズ 

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