朝鮮王朝最後の王女・徳恵翁主(덕예옹주・トッケオンジュ) 日本での通称・徳恵姫
1912年 高宗と側室の子として誕生
1925年 日本の学習院に入学
1930年 対馬の宗家当主・宗武志(そうたけゆき)と結婚
1932年 長女・正恵(まさえ)誕生
1955年 出産後から精神疾患が悪化し離婚
長女・正恵結婚
1956年 娘の正恵失踪 生死不明のまま死亡認定
1962年 50歳 韓国に帰国
1989年 平成元年 76歳で死去
自分なりに彼女の年表を作っている時 「どうして離婚後すぐに母国に帰らなかったのだろう」という疑問が沸き起こりました
この時彼女は準皇族ではなく自由な一般人
病気だったら尚更 故郷へ帰りたかっただろうに…
最初は 亡骸が見つかっていない娘を待っていたのか、と思ったのですが
すっかり忘れていました!
この時は朝鮮戦争が休戦になって間もない頃でした
さらには今年で日韓国交正常化50周年
ってことは 彼女が離婚した1950年代はまだ国交がなかったわけです
(まぁ 何をもって国交正常というのか最近ではよく分かりませんが)
スンマンは法を作り 親日派を徹底的に排除する政策をとりました
今でも芸能人や政治家が「祖先が親日派」と書かれることがあるほどその根は深い
あっ このイ・スンマンは3代王・太宗(テジョン)の長男 ヤンニョン大君の末裔なんだって!
ヤンニョン大君といえば世宗のお兄さんで 数々の奇行から王世子になれなかった人
ま~ びっくり! っていうか韓国は末裔が多くてびっくり!
もとい
つまり徳恵翁主が離婚した時 韓国は日本を排除していた時代
日本に住み 日本の教育を受け 日本国籍だった彼女は帰りたくても帰れなかったのです
帰ることを許されたのは パク・チョンヒ(パク・クネ大統領の父)の時代になってから
時代に翻弄された彼女は昌徳宮で余生を過ごし 日本国籍のまま生涯を閉じました
まだ26年前のことです
어느 신문기사를 계기로 많은 것을 알았습니다
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