2-8 青葉・田奈~緑・長津田 ~荏田の二倍!?崋山も休んだ大きな宿場、長津田宿~ | 徒然風

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どうも、ピグがほとんどできなくなることに憤慨しておりますプンプンぴゅうですビックリマーク


家庭科のテストが返ってきましたが、思ってたより高得点でにひひ


あ、そうでした、今日ペタが何と現在状況で、もう歴代一位!!ありがとうございますアップ






さて、では、街道のほうを進めていきましょうか。


今日は、横浜市青葉区、田奈の

 


宝篋印塔からスタートですね。







少し引き返し、十字路の手前を(宝篋印塔側から見て)右折します。

107
ここが石塔坂で、その名の通り途中には

108
文化三年に作られた庚申塔があります。
大山道、江戸道などと刻まれていて、道標の役割も果たしていたようです。
たった82mの坂を下ると、
111
246に出ます。
旧道はまだ続いていますが、渡れないので
安全に行く方は左へ、少し冒険してもいい人は右へ。
左に行った場合…212m先のしらとり台交差点で回ってくる。
右に行った場合…34m先、右手の
112
道になりかけたところを下る
途中すべりやすいのなんのw
そして県道140号に出て、左折

246の先の旧道は

113
流出路となっています。
65m進むと、県道140号に出てきます。





 



ここら辺には「恩田茶屋」がおかれていたようです。


渡辺崋山の「游相日記」には「恩田茶店にいこふ。柿栗買。銭四〇文。」と書かれているそうです。


游相(ゆうそう)日記は、天保二年、一八三一年に作られました。自由奔放で日記のような記録書です。書名「游相」とは「相州に遊ぶ」という意味です。つまり渡辺崋山(かざん)が「神奈川県方面を自由に楽しんだときの旅日記帳」がこれ、ということです。


渡辺崋山は、文人画家・洋学者としても名高い人物であったそう。






では、進めていきましょう。






246に上りますが、ひとまず側道へ。






94m先で鶴見川の支流、恩田川にぶつかります。




 


このすぐ手前に階段があるので上り、246・恩田大橋に出ます。






川を渡ると横浜市青葉区から緑区になります。



 


地名は長津田となりますが、更地が広がってきます。


開発大好きの東急沿線ですが、ここ長津田と田奈は開発に手をつけていません。


なぜでしょうね、よく知りませんが。






片側2車線、交通量のとっても多い246を566m進むと



 


片町交差点に出てきます。


道の反対側に行くために歩道橋に上り、そこから撮ったものです。


246から右に分かれる道が大山街道です。






 



前回来た時はありませんでしたが、旧大山街道の案内柱も在りました。






JR横浜線のガードをくぐりつつ262m進むと、左から太い道が合流してきます。


都市計画道路山下長津田線で、元々は片町から来る道がメインだったのに比べて、今ではそちらの方が断然車が多いです。


そこにあるのが




 



この地蔵堂。「向テ右かな川 左みぞノ口」などと刻まれていて、道標を兼ねていたようです。


神奈川、というと街道好きな方なら分かりますよね、東海道の神奈川宿です。


ここを左に通る道、つまりは「山下長津田線」は神奈川道だったのです。


神奈川道は、東海道神奈川宿から六角橋、小机、中山をとおり、長津田に至る道で、横浜線と同じようなルートを辿っていました。


また、長津田から西にも原町田へとも続いていますが、ひとまずはここで大山街道と合流します。


一度歩こうと目論んだこともあるんですよ…。新横浜周辺の道がぐちゃぐちゃで乗り気にならなかったですけど。


で、浜街道(絹の道)(八王子~鑓水~原町田~鶴ヶ峰~横浜)の更に古道なんじゃないかなあ、とも思っています。






さて、大山街道(&神奈川道)を進んでいきましょうか。






159m進むと、左側に





 


長津田下宿の石造物があります。


一番目立つ高いものが「常夜灯」です。


その名の通り、街道などの脇に建てられ、一晩中灯りを燈しているものです。


数年前までは道の反対側に置かれ、古いままであったそうですが、今では反対側に移設されたのと同時に新しいものに取り換えられ、宝珠(最上部)だけが古いままとなっています。


古いものは文化14年、つまり1817年製で、「てんくわ泰平 五穀成就」と書かれていたそうです。


保護するのはうれしいですが新しいのに変えてしまうとは…長津田はよくわかりませんw






他にも馬頭観音や庚申塔などもあります。


因みに、常夜灯の真裏にも馬頭観音かなんかが隠れていた気がします。


やっぱよくわからないw






そして、この石造物の総称から察していただけたように、ここから長津田宿となります。






江戸初期から宿駅に指定され、江戸より九里、荏田より二里、鶴間へ一里の場所に位置しています。宿場家数は幕末ごろで約五〇軒であったそうですが、大火によって由来は屋号などに留めるのみとなっています。荏田の二倍の大きさ、とも言われていて、江戸から来た人々が多く宿泊した、ということです。そのため、煎餅屋、餅屋、甘酒屋、飯屋、駕籠屋、馬方など様々な建物がありました。游相日記にも崋山が泊った、ということが記されていて、宿場の人々とのやり取りが遺されています。










それでは、今回はここまでといたしましょうか。


長津田宿のことを調べるとまだ見過ごしてるものが多そうなので、明日、田奈や下鶴間ふるさと館とともに再訪しようと思います。


では、


ペタしてね
 
地図です!

なんだか知りませんがコメントを書いたのに消えてしまったので内容はブログで確認お願いします