こんにちはぐるっぽに入ったので、見てくれる人増えたらいいなぁ~、ぴゅうです。
今回は、表参道交差点からスタート。
青山学院大学の脇に出ると、港区から渋谷区になります。
ここは江戸時代、松平左京大夫の屋敷があった所だそう。
…あれ、青山じゃないんですね、住所。(渋谷区渋谷、青山は港区)
ここも学園祭だか何だかで、コブクロがライブしてた気がします。
482m進むと、宮益坂上交差点に出るので、右の旧道に入ります。
宮益坂を190m下ると、右手に御嶽神社があります。
写真は…人が多かったからか撮ってません
ビルの上にある珍しい神社でした。
神社から109(!)mを下りきり、渋谷の中心部に入っていくと、宮益坂の案内柱があります。
拡大できます。
昔まで「みやえきざか」と呼んでいました…。「みやますざか」なんですねorz
でも「みやますざか」でも「宮増坂」としか変換されないという。
いよいよ渋谷の中心部です。
JRをくぐりつつ204m、ハチ公
よく、TVをみてると、「昔の渋谷にはロープウェイがあった!?」とか、「昔の渋谷は何もなかった!?」とか出てきますが、確かに宿場でもなかったし、一種の農村だったんでしょうね。
東急と西武のおかげですかね。
今度は道玄坂を上っていきます。
本当に渋谷って谷なんですね!
道玄坂は案内柱撮り忘れました。
この坂に山賊として出没した和田義盛の残党である「大和田太郎道玄」、または「道玄庵」という寺の庵主が、家康に由緒書を出したことに由来しています。
480m先、道玄坂上交番前交差点には与謝野晶子の歌碑があるようですが、見つからず。
探したんですけどねえ。
191m先、道玄坂上交差点で国道246号に合流して、更に進みます。
あ~、この近くのモス行ってなんか頼んだなあ。
旧山手通りを渡り、目黒区になりつつ429m進むと、
右に入っていく道があります(赤く塗られている道)。
それが旧道です。
拡大できます。
ここは大坂といって、大山街道の中で一番急な坂であったようです。
う~ん、やっぱり写真だといまいち伝わらないんですよね…。
165m進むと都道317号山手通りに突き当たります。旧道は少し消えてしまいます。
左折し、
246・大坂橋の手前を右折し、246に上ろうとしたら、正面に
鳥居が。
気にならないはずもないので、上ります。
なんでこのアングルで写真撮ったんだか…。
ここは、「上目黒氷川神社」。
天正年間(1573年~1592年)、当地の旧家、加藤氏が甲斐国は上野原の産土神を祀ったのが始まりだそう。
祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)、天照皇大神(アマテラスオオカミ)、菅原道真。
また、境内には
←拡大可能
目黒氷川神社/目黒富士があります。
江戸時代、庶民を中心として広まった富士山信仰をもとにして、それぞれの町に「富士塚」といわれる富士山を模した塚を作りました。
この目黒富士もその一つ。
もともとは別のところにありましたが、1878年に取り壊され、ここに移転されました。
また、中目黒にも富士塚があり、そちらの方が新しいため、そちらは「新富士」、こちらは「元富士」と呼ばれていました。
どちらの富士塚も歌川広重の名所江戸百景 に描かれています。
さて、先ほど来た方とは別のほうから下りていきます。
246に面したこちらの方が表っぽいですね。
1842年製で、正面には「大山道 せたがや通 玉川通」、右側には「ひろう めぐろ 池がみ 品川みち」、左側には「青山 あざぶみち」と記されています。「ひろう」は「広尾」ですよね。
大坂→大坂橋→大橋っていうコンボw
目黒川は下流では「品川」と呼ばれていて、その名のとおり、「品川」の由来になっています。
148m進むと、池尻大橋駅の脇で左に入る
さて、今回の探索記はこれで終了。