1-1 江戸・赤坂~港・表参道 ~大山街道の始まり! 赤坂御門跡~ | 徒然風

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こんにちはビックリマーク

今日は、英検がありましたビックリマーク

4級でしたが、思ってたよりもできました♪


今回からは、青山通り大山街道の探索記を始める、ということで。

昨日は画像のupload&英検の勉強で暇がなくて。


2010年10月24日、曇りの朝、降り立ったは永田町。
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平河町交差点付近に出たので、西へ進みます。


187m進むと、道の北側に
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赤坂御門跡が。


ここは江戸城(wikipediaへ) 外堀にあった郭門の一つである「赤坂御門」があった所です。

1636年に福岡の黒田忠之によって石垣が作られました。

その石垣が今も残っています(上写真)。

「赤坂見附」ともよばれていたそうで、駅名の由来になっています。


ここが溝ノ口・厚木を通って大山へ至る青山通り大山街道の起点とともに、足柄峠を越えて沼津へ向かう矢倉沢往還の起点です。


めんどくさかったのか何なのか知りませんが、上の画像はズームして撮ったもの。つまりは、赤坂御門跡の石垣へ行ってないことに・・・orz

初めからこれですからねぇ。

先が思いやられますよ。


今回からのタイトルですが、本来なら住所を表記するところを、「江戸・赤坂御門」としています。

住所は千代田区紀尾井町っぽいですが、分かりにくいので。


少し進んだ衆議院議長公邸北側の壁に、こんなレリーフが。

Old Highways Diary ~旧街道を探して~-369

「東京女学館発祥の地」

拡大できるはずです。

因みに、元々大学は渋谷にありましたが、そののちに南町田に移転しました。

どちらも大山街道沿い!


平岡町交差点の171m先、赤坂見附交差点付近にあるのが

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弁慶橋。

下は川ではなく「弁慶濠」。

堀は多くは埋められてしまいましたが、これは残っている貴重なもの。

この堀の名はこの堀を掘った「弁慶小左衛門」に由来しているとか、弁慶小左衛門が神田の藍染川にかけた「弁慶橋」という橋が廃橋になった際、ここにその廃材を使って橋を造ったことに由来しているとか。

昔は堀に橋はかかっていなく、明治時代になってからかけられたそうです。


大山街道と並行している国道246号を279m進むと、
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豊川稲荷東京別院が右側にあります。

町奉行大岡越前忠相の息子、忠宣が屋敷内に豊川稲荷を祀ったのが始まりで、明治20年に現在地に移転されました。

「稲荷」とつきますがあくまで寺です。

豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)が本尊です。(吒…だ の字は環境依存文字なので表示できてなかったらすみません)


さて、その豊川稲荷の手前から左に入る
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細道が旧道です。

画像を一目見てわかるように、ここは「牛鳴坂」と呼ばれています。

なんか写真だとあまり坂の勾配感じられないんですよね、はい。


山脇学園の脇を通って進みます。

なんか人が多い・・・どうやら学園祭のようで。


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今度は坂を下り、400mあまりの旧道は終わり、246に合流します。


215m進むと左側には
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高橋是清翁記念公園があります。

Perhaps this picture can …拡大.

公園自体はなぜだか撮っていないようです。


その高橋是清翁記念公園の前にあるのが
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最初の赤坂区役所跡の案内板。

赤坂区は東京15区ができた明治11年、1878年から港区ができた1947年まであった区です。


また、このすぐ近くにあるのが
Old Highways Diary ~旧街道を探して~-379Old Highways Diary ~旧街道を探して~-378
赤坂の古い地名・古い地図。

古い地図にある点線や四角は都電とその駅です。

こんなに町中を張り巡っていたなんて…。



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青山一丁目駅や明治神宮外苑を見つつ1159m進むと
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浄土宗長青山寶樹寺梅窓院が左手に。

1643年に逝去した徳川家康の家臣だった青山家初代幸成を祀ったもの。

建物は都心ならでは、近未来的です。写真は撮っていませんが。


ただ歩いていても飽きない246を歩くころ531m、右手にあるのが
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南命山善光寺(新修繕工事信州善光寺別院 青山善光寺)

があります。

元々は1601年に谷中に作られましたが、焼失してしまったため、現在地に移転されました。

高野長英の最期の地として名が知られています。


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106m先は表参道交差点です。

表参道はこの交差点から神宮橋交差点までの1.1kmで、1919年に明治神宮とともに作られました。


さて、今回はここまでとします。


今回以降地図はその日のレポが終わったときだけにします。…めんどくさいわけじゃないわけでもないけど、まあ。


続きはこちらです。