念仏の競馬予想と反省の日々 -85ページ目

毎日王冠をご紹介

先週の宣言通り只今指数の調整を行っているので本日は予想ありましぇん(笑)

ところで今日は毎日王冠(G2)。


っということで俺の中で一番印象深い毎日王冠(G2)をご紹介。


その前に毎日王冠(G2)というのは秋のG1に向けた定番のステップレースです。


主に上半期G1で活躍した名馬たちが、現役最強の称号を獲るための天皇賞秋(G1)や秋のマイル王決定戦であるマイルチャンピオンシップ(G1)に向けて始動するわけでレベルの高い戦いとなります。


今回ご紹介するのはやはり11年前1998年10月11日。


『第49回 毎日王冠(G2)』


今でも伝説として語り継がれ当日は東京競馬場に13万人の人が詰めかけ、さながらG1の盛り上がりでした。


注目は3頭のG1馬。


前年の香港遠征から若き天才武豊を背にグランプリホースとなり破竹の快進撃を続ける快速逃げ馬サイレンススズカ(牡5)。


前年の朝日杯3歳ステークス(G1)を無敗で征した骨折明けの若き怪物外国産馬グラスワンダー(牡4)


怪物の居ぬ間に無敗でNHKマイルカップ(G1)を征し、最強世代でもトップの実力を見せていた外国産馬エルコンドルパサー(牡4)。


当日オッズはサイレンススズカが1.4倍の圧倒的一番人気。

以下二番人気グラスワンダー、三番人気エルコンドルパサーと続いた。


レースは出遅れるグラスワンダーを尻目に逃げる逃げるサイレンススズカ。


なんと1000m通過は57秒7。


後続を引き離しながら4コーナー手前で息を入れ更に後続を引き離す。


サイレンススズカ得意の「逃げて差す」という離れ業だ。

直線では余裕で引き離すサイレンススズカにエルコンドルパサーが食らい付く。


グラスワンダーはやはり骨折明けが災いしたか伸びを欠く。


サイレンススズカはフジテレビアナウンサー青嶋達也の「グランプリホースの貫禄!!どこまでいっても逃げてやる!!」の実況と共にゴール。


二着エルコンドルパサーには2馬身半差、三着サンライズフラッグには5馬身差という快勝だった。


ちなみにグラスワンダーは五着に終わった。


レース後、エルコンドルパサーの蝦名正義騎手は「影さえも踏むことが出来なかった。」とコメント。


その後エルコンドルパサーは国際レースであるジャパンカップ(G1)を勝ち、年明けからは世界最高峰レース凱旋門賞(G1)に向けて海外へ。


伝統の大レースを制覇し続け、本番凱旋門賞(G1)では優勝馬モンジューのクビ差二着。


現地の人々に「あのレースには優勝馬が2頭いた。」と言わしめた。


一方グラスワンダーは国内に留まり、同世代のライバルスペシャルウィークとの激闘を続け、有馬記念連覇など数々の名勝負を続けた。


そしてサイレンススズカは年末には海外遠征も視野に入れ、生涯の最大目標であった天皇賞秋(G1)に圧倒的一番人気で出走。


しかし府中の悪夢。


驚異的な逃げを決め込んだサイレンススズカは4コーナーを回ることなく故障発生。


左前脚手根骨粉砕骨折。


予後不良とされ安楽死の措置がとられた。


引退と訃報

今年の青葉賞(G2)を征し、東京優駿(G1)五着、神戸新聞杯(G2)九着だったアプレザンレーヴ号(牡3)が左前浅屈腱炎のため引退となりました。


今後はノーザンファームにて乗馬となる予定だそうです。


続いて訃報。


昭和の元祖アイドルホースハイセイコーの代表産駒カツラノハイセイコ(牡33)が10月8日老衰のため死亡しました。


馬格が小さく気性がかなり激しかったカツラノハイセイコは1978年9月1日に札幌てデビューしたが勝てず、4戦目にして初勝利をあげる。


その後は全く勝ち星に恵まれず敗戦が続くが、歳が明けは三連勝でクラシックの有力候補となった。


スプリングステークス二着の後、皐月賞に挑むが体調管理に難航しビンゴガルーの二着に終わる。


その後、NHK杯三着を経て東京優駿に駒を進め一番人気を背負い出走。リンドプルバンの猛追を鼻差しのぎダービー馬の座につき、父ハイセイコーが成せなかった夢を果たした。
ちなみにリンドプルバンに騎乗していた嶋田功騎手は東京優駿でタケホープに騎乗してハイセイコーを下している。


しかしその後は発熱や脚部不安による長期休養により敗戦が続く。


癌に倒れた主戦松本喜登騎手にかわり河内洋騎手(現:調教師)が主戦になり、1980年目黒記念に一番人気で一着に輝く。


続く天皇賞秋ではプリテイキャストの伝説の大逃げに屈し六着、有馬記念もホウヨウボーイに鼻差届かず二着に終わった。


1981年に入り、マイラーズカップ優勝、大阪杯六着の後天皇賞春では二番人気で出走しカツアールを下し優勝。父ハイセイコーの成し遂げられなかった二つ目のタイトルを手にする。


宝塚記念ではファン投票1位、当日一番人気で出走するもカツアール雪辱に敗れ二着。その後脚部不安のため引退した。


引退後は青森県で種牡馬入りし、ユウミロク(カブトヤマ記念)やテツノセンゴクオー(東京記念、金盃)などを産出。
種牡馬引退後は栃木県の日本軽種牡馬協会那須種馬場で余生を過ごした。


カツラノハイセイコ死亡のニュースに河内洋調教師は「馬体は小さいが気性が荒く、レースでは馬と格闘しているようだった。思い入れの深い馬であり、このような馬はもう現われないかもしれない。」とコメントしたそうです。


ご冥福を。


・アプレザンレーヴ号(牡3)
父:シンボリクリスエス
母:レーヴドスカー
主な勝ち鞍:2009年・青葉賞(G2)
厩舎:池江泰郎厩舎
馬主:サンデーレーシング
生産:ノーザンファーム


・カツラノハイセイコ号(牡33)
父:ハイセイコー
母:コウイチスタア
主な勝ち鞍:1979年・東京優駿、1980年・目黒記念、1981年・マイラーズカップ、天皇賞春
厩舎:庄野穂積厩舎
馬主:桂土地(株)
生産:鮫川三千男

Yahoo!のニュース欄を見ていたら 


最近の子供の将来のに変化が見られるとの内容の記事を発見。 


昔は学者や教師が圧倒的だったが 


最近はスポーツ選手や歌手が人気を集めているそうです。 


俺はどうだったかな?


確か幼稚園の頃は『博徒』だったなぁ(笑) 


やたら極道に憧れていた(笑) 


卒園写真に漢字で「仁義」って書いた紙持って写ってたもんなぁ。 


小学校低学年の頃は『ボクサー』だったなぁ。 


ちょうどフリオ・セサール・チャベスとかパーネル・ウィティカーとかに憧れていたときだったから。


小学校高学年のときは『学者』だったなぁ。 


昔から好きだった鮫の研究者になりたい!!って卒業アルバムに書いてたもんなぁ。 


中学のときは『右翼』か『自衛隊』か『警察』になりたかったんだよなぁ。


中学の時のノートに授業も聞かないで日本の今後の体制の理想像とか書きまくってたもんなぁ。


今の右翼的思考の原点はここにあるのかも(笑) 


高校からは本気でJRA『調教師』になりたいって思ったんだよねぇ。 


ディープインパクトをハーツクライが敗ったのを見て競馬熱が再発したんだよねぇ。


将来の夢かぁ。 


今のところ夢は女が欲しいです(笑)