引退と訃報 | 念仏の競馬予想と反省の日々

引退と訃報

今年の青葉賞(G2)を征し、東京優駿(G1)五着、神戸新聞杯(G2)九着だったアプレザンレーヴ号(牡3)が左前浅屈腱炎のため引退となりました。


今後はノーザンファームにて乗馬となる予定だそうです。


続いて訃報。


昭和の元祖アイドルホースハイセイコーの代表産駒カツラノハイセイコ(牡33)が10月8日老衰のため死亡しました。


馬格が小さく気性がかなり激しかったカツラノハイセイコは1978年9月1日に札幌てデビューしたが勝てず、4戦目にして初勝利をあげる。


その後は全く勝ち星に恵まれず敗戦が続くが、歳が明けは三連勝でクラシックの有力候補となった。


スプリングステークス二着の後、皐月賞に挑むが体調管理に難航しビンゴガルーの二着に終わる。


その後、NHK杯三着を経て東京優駿に駒を進め一番人気を背負い出走。リンドプルバンの猛追を鼻差しのぎダービー馬の座につき、父ハイセイコーが成せなかった夢を果たした。
ちなみにリンドプルバンに騎乗していた嶋田功騎手は東京優駿でタケホープに騎乗してハイセイコーを下している。


しかしその後は発熱や脚部不安による長期休養により敗戦が続く。


癌に倒れた主戦松本喜登騎手にかわり河内洋騎手(現:調教師)が主戦になり、1980年目黒記念に一番人気で一着に輝く。


続く天皇賞秋ではプリテイキャストの伝説の大逃げに屈し六着、有馬記念もホウヨウボーイに鼻差届かず二着に終わった。


1981年に入り、マイラーズカップ優勝、大阪杯六着の後天皇賞春では二番人気で出走しカツアールを下し優勝。父ハイセイコーの成し遂げられなかった二つ目のタイトルを手にする。


宝塚記念ではファン投票1位、当日一番人気で出走するもカツアール雪辱に敗れ二着。その後脚部不安のため引退した。


引退後は青森県で種牡馬入りし、ユウミロク(カブトヤマ記念)やテツノセンゴクオー(東京記念、金盃)などを産出。
種牡馬引退後は栃木県の日本軽種牡馬協会那須種馬場で余生を過ごした。


カツラノハイセイコ死亡のニュースに河内洋調教師は「馬体は小さいが気性が荒く、レースでは馬と格闘しているようだった。思い入れの深い馬であり、このような馬はもう現われないかもしれない。」とコメントしたそうです。


ご冥福を。


・アプレザンレーヴ号(牡3)
父:シンボリクリスエス
母:レーヴドスカー
主な勝ち鞍:2009年・青葉賞(G2)
厩舎:池江泰郎厩舎
馬主:サンデーレーシング
生産:ノーザンファーム


・カツラノハイセイコ号(牡33)
父:ハイセイコー
母:コウイチスタア
主な勝ち鞍:1979年・東京優駿、1980年・目黒記念、1981年・マイラーズカップ、天皇賞春
厩舎:庄野穂積厩舎
馬主:桂土地(株)
生産:鮫川三千男