もう半年前のことになってしまいましたが、折角なのでパリ旅行記の続きを残しておきたいと思います。

 

パリ・オペラ座バレエ「眠れる森の美女」2回目。

この日は、母も同行し、いつぶりか分からない親子でのバレエ鑑賞となりました。

母にとっては、コロナ前にマリインスキー・バレエの来日公演で「ドン・キホーテ」を観て以来のバレエです。

その1年後には癌が分かり、外出もままならなくなったのでした。

 

夕焼けに彩られたバスティーユ広場。

これ、合成や加工ではないですよ😂

 

 

パリ・オリンピックを思い出しますね。

 

 

プログラムを片手に。

先日のリサイタルでは、ガルニエ宮にあわせて真紅のネクタイでしたが、バスティーユはブルーっぽいかなということで青をセレクト。

 

パリの観客、皆さまシックなのですが、さりげなく差し色で鮮やかなブルーとかを取り入れていていいなあと。

今回のパリ旅で、結局、ネイビーやグレーといった定番の色をどう着こなすかだと学びました。

 

 

後ろのお父さんも、ブルーの使い方がお洒落。

ちなみに、左後ろのプログラム売りのお兄ちゃんと一緒に写真撮ってもらいました😂

 

この日の主演は、若きエトワール、ブルーエン・バティストーニとギョーム・ディオップ。

 

ブルーエンのオーロラ姫が、まさに高貴な王女そのもので素晴らしかったです。

誰が観ても、「彼女が王女様」だとはっきり分かるエレガンス。

さりげなく差し出す腕や脚の動きのどこを切り取っても、大切に育てられた王家の跡継ぎそのものでした。

 

こちらのインタビューで、彼女のオーロラ姫の役づくりが語られていますが、役柄への解像度、それを言語化する語彙力の高さに驚かされます。

 

 

 

 

 

対するギョーム・ディオップは、第2幕のヴァリエーションが本当に素晴らしかったです。

あの足捌きを見ていると、「これがヌレエフが見せたかったものなのか」と思わされました。

恵まれているはずが、どこか地に足がついていない夢想家のデジレ王子の内面を見事に表現。

これがあるから、夢の場で、オーロラ姫の幻に出会えるのねと。

第3幕では、客席の熱狂が半端ではなかったです。

 

 

そして、主役と同じくらい感動したのが、ファニー・ゴルス演じるリラの精。

妖精たちの中で、ただ一人カラボスの呪いを弱められる威厳、王子に進むべき道を示す知性、そして王国を見守る優しさ。

リラの精は、知恵の女神アテナがモデルとされるのも納得の存在感で、もはや本人では?という雰囲気を纏っていました。

 

 

 

 

カラボスは、そんなリラの精の合わせ鏡のような美しさでした。

 

 

 

そして、こちらの式典長カタラビュット。

実は、第3幕のグラン・パ・ド・ドゥで、オーロラの衣装の飾りが舞台上に落下してしまったのですが、お辞儀の間に、さりげな〜く役柄のままの歩き方で回収しに行くファインプレー👍

 

 

この貴族たちを含めた、舞台全体の雰囲気は、何度観ても素晴らしい!

 

 

 

 

終演後、母がこの幕を名残惜しそうに、ずっと眺めていました。

「バレエはこういうもの」と少女時代の記憶で持ち続けていたイメージそのままの舞台に、いたく感動したようです。

 

 

昔の舞台では、ノエラ・ポントワ、マーゴ・フォンテインのように、「あ、この人って本当に宮殿に住んでいるのだろうな」というスターが当たり前のように出ていました。

いつしか昔の風情は失われ、総合芸術であったバレエも、どこか軽いものになった気がします。

それも時代の流れと諦めていましたが、かつての栄華を思い起こさせる舞台が、ここパリに残っていたことが大変嬉しかったようです。

 

私も、この舞台を観て、「母が言っていたのは、こういうことか」と納得しました。

個人のテクニック云々ではなく、「舞台全体が一枚の絵画でないといけない」ということ。

それは決して、華々しいコンクールの経歴で形成されるものではなく、伝統を継承する教師陣、個人の感性、そして日々暮らす環境が生み出すものなのですね。

 

それを感じさせたパリ・オペラ座は、やはりバレエの殿堂に相応しいカンパニーでした。