ロマンティック・バレエの傑作「ジゼル」にまつわる雑学をご紹介するシリーズ。
今回は、「ジゼル」を観た多くの方が思うこと、「どうしてヒラリオンは殺されて、アルブレヒトが救われるのか?」を探っていきます。
ジゼルに横恋慕して、アルブレヒトの正体を暴いた結果、彼女を死へと追いやってしまったとはいえ、元はといえば身分を偽ったアルブレヒトが悪い!
それでも、ヒラリオンがウィリーに踊らされて殺されてしまうのは可哀想!
そもそも、ヒラリオンの方が実直でまとも!
「ジゼル」の公演中は、こうした意見が溢れかえるバレエ界隈(笑)
ここまでバレエファンから愛されるヒラリオンの罪にフォーカスしていきます。
さて、作中では、ヒラリオンの職業は森番とされています。
森番とは、密猟者の取締や森林管理をする職業ですが、中世ヨーロッパでは、また違った意味合いももっていました。
数々のおとぎ話でも「森」が舞台となるように、森は中世ヨーロッパの人々の生活にとって重要なもの。
その森の所有権は、中世になると領主や王へと移り、人々には納税義務が課されるようになっていきます。
法律に基づいた森林管理のあり方が整備される中で生まれたのが森番という職業。
「ジゼル」の作中でもあるように、領主や王が狩りで森を使用できるよう、獲物を含めた森の資源を守ることが主要な役割でした。
クーランド公やバチルド姫が狩猟をできているのは、ヒラリオンが獲物を管理しているからなのです。
ここで重要なことは、彼らは、「領主や王へ仕える立場」であるということ。
つまり、森番ヒラリオンにとって、領主クーランド公やアルブレヒトは、「主人」へ当たるというわけ。
もう1つ忘れてはいけないのは、「ジゼル」が生まれたのは19世紀であること。
当時の価値観では、使用人である立場の者が、主人の私事へ干渉することはタブー、ましてや公衆の面前で堂々と非難することは、立派な反逆行為と考えられていました。
それは許されないことで、罰せられて当然であるという価値観が一般的だったのです。
そのため、主人へ背いて秘密を暴露し、結果としてジゼルを死へ追いやることとなった罰として、ウィリーたちに殺されてしまうのは、ヒラリオンであっても違和感がなかったのですよね。
また、どうやら森番という職業自体が、否定的なイメージと結びついていることもあるようです。
村人の一員ではあるものの、人里離れた森の中や村はずれに住む森番は、人々から忌み嫌われる立場の職業でした。
歴史的に見ると、領主や王へ仕えて、村人たちが自由には森を使用できなくなった経緯と結びついている他、不正が横行していたという背景もあるそうです。
初演時には、第2幕冒頭、ヒラリオンが森番仲間と番をしている場面があり、彼らの「森の男」としての側面が描かれているようにも思えます。
「ジゼル」では、そうした描写はありませんが、初演時の設定では、ヒラリオンは粗野で、冒頭からアルブレヒトへ嫉妬している男として表現されていたそうです。
決して悪者ではない一面もあったようですが、今ほど複雑な内面を見せるキャラクターではなかったよう。
(当時のバレエが人々の心をリアルに描くものではないという事情もあると思います。
それに対して、アルブレヒトは優しい貴族として描かれ、婚約者がいる立場でありつつも、村娘ジゼルを愛している役柄。
こうした設定が変化したのは20世紀。
とりわけ革命後のロシアでは、貴族を「善」として描くよりも、ヒラリオンをより正義を訴えるキャラクターとして改変した側面があります。
「白鳥の湖」に代表されるように、バレエ作品の多くに政治が密接に関係していますが、「ジゼル」もまたその1つ。
しかし、結局ヒラリオンが死へ追いやられるという結末は変わらず、こうした改変が、ストーリー的には違和感が生まれるのも事実です。
ソ連時代に生まれたラヴロフスキー版では、ヒラリオンは村人の一員として、収穫祭へも参加しています。
こうした描写は、西側の観客へは驚きをもって受け止められたとか。
どうやら体制側としても、「ジゼル」のストーリー自体を変える必要性は見出さず、登場人物の心理描写をよりリアルに描き、ソ連の観客は、こうした「善い登場人物を愛する人だ」というアピール方法をとったようです。
「ジゼル」の作品のテーマも、「愛による救済」という真実の愛が強調され、ロマンティック・バレエの時代のメロドラマから深化しました。
第1幕では身勝手な貴族であったアルブレヒトが、ジゼルの真実の愛を経て、より良い人間へと生まれ変わる、そうした社会全体の進歩を重ねた設定とされたという意見もあります。
21世紀では、多くのバレエファンがヒラリオン擁護派となったのも、時代とともに受け継がれてきたバレエのあり方を映すようで興味深いですね。
参考HP: