ローザンヌ国際バレエコンクールといえば、愛ゆえに辛口解説な解説で有名だったクロード・ベッシー女史。
もはや、バレエコンクール自体よりも、彼女の解説が記憶されている方も多いのでは?😅
そんなクロード・ベッシー女史の現役時代の貴重映像がありました!
「舞踏への招待(Invitation to the Dance)」というジーン・ケリー監督・主演の映画の一場面。
相手役は、「テーマとヴァリエーション」をアリシア・アロンソと組んで初演した、イゴール・ユースケビッチです。
(Xでご教示いただきました。)
あのジーン・ケリーが自ら電話をして出演オファー。
スクリーン・テストをしたものの、ベッシー女史は、「もう1人のレスリー・キャロンみたいなのは嫌」だとMGMとの契約を拒否。
諦められないケリーが説得して、端役で出てもらったそうです。
レスリー・キャロンは、「巴里のアメリカ人」や「足ながおじさん」で知られる、国際的に活躍したダンサーで女優。
そんなベッシー女史ですが、このお方のプロフィールと大物エピソードが凄いのです!😅
10歳でパリ・オペラ座バレエ学校、13歳でバレエ団へ入団!
この記録、今でも破られていないのでは?
そして、14歳の時、パリ・オペラ座バレエを訪れたバランシンの目に留まり、「シンフォニー・イン・C(水晶宮)」でソロを与えられます!
この大抜擢にマスコミが大騒ぎしたのですが、ベッシー女史は、「ガルニエ宮の階段で、衣装のままポーズをとる」とメディアへ提案。
これが、規律違反とされ、8日間の停職処分!😂
それでも、翌年には、昇進コンクールで「プティ・スジェ」へ昇格。
ところが、1947年12月にオペラ「カストールとポリュックス」の上演中、舞台中で突如大爆笑😅
上層部は、「不作法な態度はけしからん!」と激怒し、まさかのコリフェへ降格処分!
パリ・オペラ座バレエで昇進はあっても、降格処分って聞いたことがありません。
大物エピソードすぎて、笑いが止まりませんでした。
でも、ベッシー女史だったらちょっと想像できてしまうところがまた面白い😂
もちろん、ここでキャリアが終わったわけではありません。
2ヶ月間「良い子」でいたおかげで、「プティ・スジェ」へ復活、そして1949年11月には、「グランド・スジェ」へ昇進。
3年後の1952年にプルミエール・ダンスーズへ昇進し、エトワール任命は、1957年5月のことでした。
↓パリ・オペラ座バレエHPで、美しいお写真がたくさん観られます!びっくりするほど綺麗ですよ!
こうした大物だったからこそ、数々の天才バレエダンサーを、パリ・オペラ座バレエ学校から羽ばたかせられたのかもしれません。
それでも、降格処分ってやっぱり衝撃的だわ~(笑)