2週間続けてのバレエ鑑賞、昨日はこちらへ。

 

 

私、2021年から毎年ウクライナ国立バレエを観ているため、今回はどうしようかと思いつつ、劇場付オーケストラ帯同ということで、生演奏目当てで、ポチっと。

(地方公演は続いてほしいですが、昨年後半から東京でのバレエ鑑賞もしており、お財布がそろそろ厳しめ😅)

 

 

 

お目当てのオーケストラは、素晴らしかったです。

開演前、休憩時間の練習も、リサイタルレベルで豪華!

ハープによるジゼルのヴァリエーション、ミルタ登場シーン、ヴィオラによるジゼルとアルブレヒトのパ・ド・ドゥ(フル)とか!

 

テンポが、通常の「ジゼル」よりもゆっくりめだと思うのですが、ドラマチックで抑制が効いていて、素人でも分かる素晴らしさ。

オーケストレーションも、通常版とやや異なる気がしたのですが、それがまた味わい深くて、聞きほれてしまいました。

 

さて、今回の「ジゼル」は、オーソドックスなバージョンを踏襲しつつ、戦事下という背景を思わせる改変も。

 

個人的に一番グッときたのは、ジゼルのお墓をアルブレヒトが訪れるシーン。

アルブレヒト1人が、ゆったりとした足どりで登場し、そのままジゼルのお墓を見つけるのが一般的。

 

今回は、従者と共に登場しますが、従者があちこちに散らばるお墓を1つ1つ照らして、ジゼルのお墓を探します。

だいぶ探してもダメで、「見つかりません」と報告した時の絶望感、ようやく見つけた時のハッとした表情が印象的。

 

これで思い出したのが、映画「ひまわり」。

「誰がどこに葬られたかも分からない」「本当に亡くなったかも分からない」という状態。

たとえ冷たくなっていても、遺族の元へ帰ってこれたらまだ良い、ということは、今も起きているわけで、「せめて埋葬場所だけでも」という想いは、真に迫るものがありました。

 

 

また、第1幕の村人たちの描写で、カップルや恋人同士である様子が強調されていました。

冒頭のジゼルとアルブレヒトが、友人たちと踊る場面、多くは村娘たちだけが踊りますが、今回は全員が男女ペア。

 

 

ペザントのパ・ド・ドゥも結婚式という設定で、ブーケトスでジゼルがキャッチし、アルブレヒトに「私たち、結婚できるってことよ!」と報告するシーンも。

「大切な誰かと一緒にいられる」という幸せが、より貴重であり、そして一筋の希望であるという状況を映している気がしました。

 

 

そして、一番話題のラストシーン。

「生前に果たせなかった約束を、死後の世界で果たして、新たな一歩を…」ということなのかと受け取りました。

アルブレヒトは、第1幕でジゼルに「愛を誓うよ!」と言いつつ、その約束は果たされず、更には亡くなったジゼルにすがりつくことも許されず、従者とジゼルの母に引き離されてしまいます。

 

このバージョンのアルブレヒトは、第1幕で、ジゼルにやたらとキスをしようとするチャラブレヒトですが、生前のジゼルはそれを許していません。

それが、ラストシーンでようやく…ということで、「生前果たせなかった約束をどうかして果たしたい」という想いが込められていることは理解できました。

 

ただ、当事者ではない自分が見ると、「バチルド姫、可哀そうすぎません?」とか、「ジゼルが夜通しアルブレヒトを守った意味…」とかツッコミどころはありまして…。

あれだったら、「ジゼルの思い出・遺志を胸に生きるアルブレヒト」とか、「老いたアルブレヒトが死後の世界でジゼルと再会」とかの方が希望があったように思えて…。

でも、「生きることが希望とは限らない」「死は救いでもある」といった想いもあるのかもしれません。

 

 

 

 

肝心のバレエはといいますと…。

 

ウィリーの女王ミルタを踊ったアナスタシア シェフチェンコ が圧巻でございました。

圧倒的にレベルが違いました。

 

登場シーンでのパ・ド・ブレの細かさ、あれは滅多に観られるレベルではありません。

そして、冷酷さ、ウィリーを率いる強さをもった圧倒的オーラ。

でも、どことなく奥底には悲哀も感じさせたのは、彼女自身の経験も投影されているようで。

(国外退避中、祖国に残った実父の最期を看取ることができなかったとドキュメンタリーで語っていました)

 

 

ウィリーのコール・ド・バレエが、さすがに連続の公演でお疲れモードも感じてしまった(アラベスクのバランスがとれず足を下してしまった場面も)のですが、「私についてきなさい!」と言う「背中で部下を率いるリーダー」のようなミルタが、舞台の格をグッと引き上げていたと思います。

第1幕では、イマイチ盛り上がらなかった客席の集中力が、シェフチェンコのミルタが登場した途端に、高まったのも分かりました。

 

 

ウィリーのコール・ド・バレエは、前述のようにお疲れが見える部分はありましたが、「青白いスラヴの精霊たち」というイメージがぴったりなのは、さすがお国柄か。

 

 

 

まったくストーリーは違いますが、ニコライ・ゴーゴリの小説を基にした、「ヴィー」という連時代のホラー映画の傑作がありまして、ちょっとそれも思い出しました。

 

 

通常版よりも、「妖精の輪」でアルブレヒトやヒラリオンを追い詰める様が多かったのが印象的で、ウィリーの恐ろしさを表現していたと思います。

 

イローナクラフチェンコのジゼルは、どこか危ない情熱を内に秘めた少女で、それこそが命とりとなったようでした。

どこまでもアルブレヒトとの幸せな未来があると思ってやまない一方で、実は自分に残された時間が限られていることも分かっている、だからこそ彼と少しでも一緒にいたい、という気持ちが伝わります。

 

 

その彼女の想いが成就するのが第2幕。

生前に満たされることがなかったアルブレヒトへの愛、踊りへの情熱が溢れ出ており、死者の冷たさを表現したウィリーたちと対照的。

どちらかというとアレグロが得意なバレリーナだと思うのですが、初めて観た数年前よりも、アダージオで魅せる実力を上げてきたあたり、成長ぶりを実感。

 

 

対するオレクサンドル・オメリチェンコのアルブレヒトは、第1幕ではどこまでも”チャラブレヒト”。

花占いのメロディーが「チャラブレヒトのテーマ」に聴こえるくらい、チャラッチャラ。

 

貴族としての佇まいはありつつ、とにかく目の前が楽しければいいや!という一心で、その後のことはさっぱり考えない。

ジゼルが嬉しそうにブーケトスでキャッチした花を見せてきても、「ほら、一緒に幸せになろう」と笑顔を見せてスルー。

 

バチルド姫が出てきたら、あっという間に彼女にもいいところを見せ、問題を先送りにした結果、取り返しのつかない事態に。

(バチルド姫が、「まじであり得ん」みたいなマイムをしていて😅)

 

第2幕までの間で、相当反省したか、バチルド姫から怒られたのか、最初から深い後悔を感じさせ、「ジゼルさえいてくれたら自分はどうなっても…」という捨て身な”悔いブレヒト”。

自分を守ることは考えず、ただただジゼルと踊り続け、生前果たせなかった約束を今こそ果たそうとする彼を見ると、仮に生きていても幸せは得られなかっただろうと思わせます。

 

派手なことはしませんが、「心ここにあらず」というままのアントルシャ・シスが美しかったです。

 

ヒラリオンは…悪い人ではなかったですし、ジゼルのために持ってきたマーガレットをそのまま花占いに使われ、捨てられるという可哀そうな役どころ。

死が救済であるなら、彼も死後の世界で、大切な誰かと再会できていてほしいと思いました…。

 

 

 

カーテンコールは撮影可。

ようやく客席も盛り上がりました。