まず、大事件が発表されたのは、公演当日の10時。
開演まで、あと4時間を切ったタイミングでした。
オネーギン役を踊る予定だったジェイソン・レイリーが急病のため降番、フリーデマン・フォーゲルが代役でジャンプイン。
マジか!
開演前、芸術監督が代役発表の挨拶のため出てきましたが、キャスト変更が決まったのは、昨夜のこと。
配役表のプリントアウトも間に合わず、配布されたキャスト表は、ジェイソン・レイリーのままでした。
つまり、フォーゲルは、昨日の主演後、代役を引き受けたと言うこと。
「椿姫」で2回踊ることは想定内でも、「オネーギン」初回は、流石に2回目を踊るつもりはなく、既に全力投球だったと思います。
御年45歳、さすがにファーストキャストを働かせすぎではないかと心配になりました。
気持ちの整理も出来ないまま、会場入り。
開演前の挨拶でキャスト変更を初めて知った方も一定数いらっしゃったようですし、明らかに客席も動揺したままのスタートだったと思います。
そしてもったいなかったのは、空席が非常に目立ったこと…。
さすがのフォーゲルをもってしても、直前の変更では、当日券での追い上げも厳しかったのか、1階の中央でもまとまって空いているエリアが見えましたし、上階サイドとかも空いているように見えました。
客席の盛り上がりも、明らかに初日のそれとは違う。(初日は、熱気が凄かったのです。)
そうした状況で始まった、「オネーギン」2日目ですが、これが凄かった!
昨日の今日で、こんなことがある?というくらい、素晴らしいものを観ました。
最後の10分間、東京文化会館の舞台には、間違いなく神様がいました。
芸術の神様が、2人に微笑んだかのような圧巻のパフォーマンス。
いえ、パフォーマンスでも演技でもなく、あの10分間、舞台上には「フォーゲルとバデネス」ではなく、「オネーギンとタチヤーナ」がいました。
何がどう凄かったかというと、まずは、バデネスのタチヤーナ!
一夜明けただけで、そこまで変わるか!と驚かされるくらい、全く違うタチヤーナでした。
初日の感想でも書きましたが、バデネスのタチヤーナは、後半への成長ぶりをはっきりと描き切ります。
初日の彼女は、第2幕のラスト、親友を撃ち殺したオネーギンを見つめたタイミングで、オネーギンとの、そして自分の少女時代との決別を果たすようでした。
第3幕で、もう一度、初恋の人が目の前に現れても、その空虚さに気がついてしまっている彼女は、もう惑わされません。
手紙のパ・ド・ドゥは、タチヤーナの方が、一段階上で、オネーギンと同じ位置へ降りてくることはないまま。
それが、この日のタチヤーナは、揺れに揺れていて、最後までどちらへ転ぶか分からないくらい。
あの鏡のPDDの曲のリフレインが響いた時、床へ倒れ込み、オネーギンの瞳をもう一度見つめた時、彼女の心は、確かにもう一度大きく羽ばたいたようでした。
オネーギンへの我が身の預け方、オネーギンから離れようとする足どりの重さ、オネーギンに吸い寄せられるかのような背中…。
あの時のオネーギンは、想像上の虚像に過ぎなかったけれど、今、目の前にいるのは、理想の姿ではないけれど、生身である人間らしいオネーギン。
今、ここから2人のストーリーをもう一度紡いでもいいくらいに思っていたようで。
2回目でようやく気がついたのですが、壁には少女時代のタチヤーナの肖像画があるのですよね。(今さら😅)
別に「グレーミン公爵夫人の肖像」でもいいはず。
それが、敢えて「タチヤーナ・ラーリナの肖像」。
タチヤーナは、少女時代へと別れを告げたものの、「過去は過去」だと割り切れるものではなく、あくまでも今の自分を形づくるアイデンティティの一部。
鏡のパ・ド・ドゥでは、オネーギンが抜け出てくるわけですが、手紙のパ・ド・ドゥでは、少女時代のタチヤーナが乗り移ったみたいで。
最後の最後、机の手紙を目にして、ようやく我にかえり、手紙をオネーギンへ突き付け、破り捨て、すがりつくオネーギンを拒絶。
それは、同時に、過去の自分の亡霊との決別でもあり、彼女は再び、新たな一歩を歩み出すようでした。
つまり、2日目の舞台では、「少女時代のタチヤーナ」へ、二度別れを告げたように見えるタチヤーナ。
対するフォーゲルのオネーギン、初日より、人間味が増して見えました。
1日目は圧倒的なカリスマ性で、周りを操るようにも見えたのですが、今日は、1人の若者としての側面が強く、それが自分たちを映した姿でもあるようで、思わず肩入れしたくなりました。
心の奥底では、「普通の幸せがほしい」と思いつつ、「クールでないといけない」という強迫観念に取りつかれて、自分の心に蓋をしてしまったよう。
自分の意に反して、「幸福の青い鳥」を追い求めているけれども、そうしたものは当然見つからない。
ある程度の年齢までは、恵まれた環境で、自分の心と深く向き合わずとも、うまいことやってこられたけれども、心と深く向き合わないが故に、メッキが剝げるように薄い中身がある。
自分でも、それは自覚しているけれども、プライドは高いため、絶対に認めたくないという負のループ。
これは、絶対にあり得ないはずですが、この日のオネーギンは、第1幕の時点で、何かしらの感情をタチヤーナへ抱いていたように見えました。
もちろん、あくまでもスマートに相手をしているだけともとれますが、一瞬何か思うところがあったのではと。
その想いを深く考えるよりも前に、「いや、あり得ないだろう」(または自分の気持ちに向き合うのがだるい😅)と蓋をして取り繕ってしまう。
だからこそ、鏡のパ・ド・ドゥが、今日は違って見えたのです。
あそこのオネーギンは、タチヤーナにとっての理想の王子であり、虚像だけど、オネーギンも実は、これくらい自分の気持ちに正直に、守るべきものがほしかったのでは…と。
あれは、タチヤーナの妄想炸裂であると同時に、「なれたかもしれないもう1人のオネーギンの姿」でもあるのかも…。
初日のオネーギンとタチヤーナは、「絶対に結ばれないと決定づけられていた2人」であるのに対して、2日目の2人は、「一生を共にできたかもしれなかった2人」。
それが、諸々が重なって、もう戻れなくなってしまったという悲劇が際立って見えました。
オネーギンが自覚しない間に、実は、自らの決断で、タチヤーナとの未来を切り捨てた、選ばなかったという皮肉。
第3幕で、漸く自分の気持ちと向き合って、飛び込んできたからこそ、タチヤーナも一瞬であっても傾いたのではないかと思います。
部屋に入ってきた時点で、恐らくオネーギンも、タチヤーナが振り向いてくれるとは思っていないと思うのです。
それでも、やっと自分の過去の過ちに向き合い、もがいた姿が見えた、遅すぎはしたものの、漸く自分の空虚さを認めた。
そうした姿が、「王子様」ではないものの、タチヤーナの心をもう一度燃え上がらせたのかなと。
オリガとレンスキーも、昨日とは全く違うキャラクター像。
ディアナ・イオネスクのオリガ、とっても愛らしく、役のイメージにぴったり。
オーロラ姫等も演じているそうで、ビジュアルに加え、踊りのスタイルも美しかったです。
自分の意志をそこまで持たず、大切に育てられてきました、という感じ。
第2幕で、オネーギンと一緒に踊ってしまうところも、ただただ流されて楽しんでいたら、取り返しのつかない事態を招いてしまい、泣き崩れる。
決闘の場で、レンスキーを引き留めようとしたところ、あそこで漸く、自ら行動するようになったのかも。
でも、その後の人生としては、タチヤーナのように歩むまではいかなかっただろうな…と思わせるものがありました。
対するアドナイ・ソアレス・ダ・シルヴァのレンスキーは、燃えるような革命家。
初日のフィゲレドとは正反対で、どうしてオネーギンと友人?というくらいオネーギンとも違うタイプ。
でも、オリガとは幸せになれたよね…という相性の良さが不思議とありました。
だからこそ、最後の抱擁が本当に悲しかった…。
オネーギンへ決闘を申し込む場面も、自分の理想や名誉を傷つけられたショックよりも、カッと燃え上がって挑んだみたいでした。
決闘前のソロも、ラインで魅せるフィゲレドに対し、回転やポーズの溜めや伸びで表現する様が、全く異なる振付に見えて、興味深かったです。
「こうあるべき」というよりは、ダンサーそれぞれの魅せ方や解釈があり、でもそれが1つのストーリーを紡ぎ出している、というドラマティック・バレエの醍醐味を見ました。
シュツットガルト・バレエ「オネーギン」、出会うのが遅すぎて、見逃した名演はあると思いますが、初オネーギンがこれで良かったと思える舞台に2回も出会えました。
これぞ、出会うべきタイミングだったと思います。
逆に、自分にとっての「オネーギン」は、これをラストにしてもいい。
幸せすぎて、これを上書いてしまうのが怖いというくらい満たされた2日間。
あのラスト10分間、私のバレエ鑑賞歴で、トップ1、2位を争うくらい凄い体験でした。
もったいないかもしれないけれど、「フォーゲルとバデネス」を「自分にとっての永遠のオネーギンとタチヤーナ」にしたい。
2日目は、帰りの時間もあって、出待ちはしなかったので、私の中では、この日のフォーゲルとバデネスは、「19世紀ロシアのペテルブルグにお住まいのお二方」で終わっていて。
それがより一層、味わい深いものにしてくれた気がします。

オネーギン:フリーデマン・フォーゲル
レンスキー(オネーギンの友人):ガブリエル・フィゲレド
ラーリナ夫人(未亡人):ソニア・サンティアゴ
タチヤーナ(ラーリナ夫人の娘):エリサ・バデネス
オリガ(ラーリナ夫人の娘):マッケンジー・ブラウン
彼女たちの乳母:マグダレナ・ジンギレフスカ
グレーミン公爵(ラーリナ家の友人):ロマン・ノヴィツキー
近所の人々、ラーリナ夫人の親戚たち、
サンクトペテルブルクのグレーミン公爵の客人たち:シュツットガルト・バレエ団
指揮:ヴォルフガング・ハインツ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団