昨日10月10日、パリ・オペラ座バレエ「フォーサイスとインガーの夕べ」に先立って行われたデフィレで、エトワールのローラ・エケがアデューを告げました。

 

 

2002年、パリ・オペラ座バレエへトップの成績で入団。

早い時期から頭角を現し、2005年には、スジェへ昇格。

「ラ・バヤデール」のガムザッティ、「椿姫」のマノン、「ジゼル」のミルタといった役どころも、若いうちから踊っています。

 

「ジゼル」より。こちらではドゥ・ウィリー。

 

しかし、1年以上の休業を余儀なくされた大怪我、昇進コンクールでの相性もあり、結局9年間をスジェで過ごした彼女。

その頃の気持ちを、こちらの記事でたくさん語っています。

 

 

また、エトワールに任命された直後、次のように語っていました。

 

"スジェの9年はとても長かった。

怪我で1年棒に振ったし、復帰後はディレクションからは自分はもう選択肢に入っていないのだと思った。

辛かったし出ていくことも考えた。でもきっと報われると自分に言い聞かせて諦めなかった。
数年前は自分はもう歳だと感じていた。まだスジェだったし、若いダンサーたちが次々入ってくるから。
でも今30歳で、まだまだ若いと感じる。これからエトワールとしてのキャリアが12年間もあるんだから!"

 

 
その彼女にも徐々にチャンスが巡ってきます。
2013年、「眠れる森の美女』のオーロラ姫を踊った彼女は、スジェで1日限りだったにもかかわらず、ブノワ賞にノミネート。
 
そして、2015年にようやくプルミエール・ダンスーズへ昇格後、わずか3か月でエトワールへ。
この時の映像、非常にグッときます。

 
パリ・オペラ座らしいエレガンスと、高いテクニックを併せ持った彼女ですが、スジェで過ごした期間があまりにも長く…。
せめて、あと少し早くプルミエール・ダンスーズへ上がれていたら…と思うこともありました。
 
オペラ座スタイルの美しいフェッテ。シルヴィ・ギエムやアニエス・ルテステュを思い出します。

 

ユーゴ・マルシャンとの「デュオ・コンセルタント」。彼女はバランシン作品も得意でした。

 

キャリア終盤は、怪我にも苦しめられましたが、「オネーギン」のタチヤーナ、「椿姫」のマルグリット、「マイヤーリング」のエリザベート皇后やラリッシュ伯爵夫人は、高い評価を得ていました。
 
 
「オネーギン」のタチヤーナ。ステファン・ビュリョンと。

 
「椿姫」マルグリット。フロリアン・マニュネと。

 
 
「マイヤーリング」ラリッシュ伯爵夫人。マチュー・ガニオと。
 

 
そして迎えた昨夜のアデュー。
 
「デフィレ」のフル映像。これは、エケだけでなく、マチュー・ガニオにとっても最後のデフィレ。

 
こちらは、リュドミラ・パリエロのインスタグラムより。 
デフィレの最後のレヴェランス、そしてエケのアデューを舞台袖から見られる映像。

 
金色の紙吹雪をじっと見上げる姿、スタッフや観客へ「Merci」と呟く姿、どれも泣けます。
舞台袖から、怪我で休業中のパリエロを連れだしたのも、彼女の優しさでしょうか。

 
エトワールたちと最後のお別れ。

 

 

エトワールになるためには、才能と努力だけではなく、タイミングや運も求められると思わされた世代のバレリーナでした。

せめて、最後は幸せなバレエ人生と思えたラストであってほしいです。

 

 

 

 

元同僚たちから届いた数々の愛

 

2007年の「ルグリと輝ける仲間たち」で、エケを日本へ紹介したルグリ

 

「エトワール・ガラ」の芸術監督でもあったバンジャマン・ペッシュ

 

長年のパートナーであるベザール。「白鳥の湖」でエトワール任命された時も相手役でした。

永遠のエトワール、マチュー・ガニオ。

 

パリ・オペラ座バレエ学校の同期ヴァンサン・シャイエ