すっかりお休みしてしまっていましたが、久しぶりのバレエ雑学シリーズ。

今回は、ロマンティックバレエの最高傑作「ジゼル」を取りあげます。

 

まずは、この作品の重要なテーマである、精霊ウィリの物語を深掘りしていきます。

 

公演プログラムでは、「結婚前に命を落とした乙女たちは、ウィリとして、迷い込んだ男を死の踊りへ誘うという、中欧・東欧の伝承」であることは、よく触れられています。

でも、一言で「ウィリ」といっても、実は、地域ごとに様々な言い伝えがあります。

また、彼女たちは、どうしてウィリとして、さまよえる魂となる必要があったのでしょうか。

その背景には、中世という時代ならではの、「女性」へ与えられた役割に束縛された、あまりにも哀しい乙女たちの物語がありました。

 

 

 

 

バレエ「ジゼル」が生まれるきっかけになったのは、ドイツの詩人ハインリヒ・ハイネが書いた「ドイツ論」の一節。

 

 

 

 

この中では、ウィリとは、スラブ地域に起源をもつオーストリアに伝わる夜の踊り子たちとされています。

彼女たちは、嫁ぐ前に亡くなった花嫁たちであり、生きている間に満たされることがなかった踊りへの情熱にかきたてられ、迷い込んだ若者を死の舞踊へ誘う恐ろしい一面をもっています。

ただ、白い花嫁衣装に、煌めく指輪をはめた姿は大変美しく、明るい声で笑い、愛くるしいため、彼女たちの誘惑には勝てないと。

 

ハイネによる、ウィリの紹介は、スラブ地方に見られる「ヴィーラ(Vila)」というニンフに似た妖精伝説を、焼き直したものと考えられています。

「ヴィーラ」という呼称は、西部ウクライナを含めた、南スラブや中央スラブでよく見られ、古いブルガリア語から来ているのだとか。

 

「ヴィーラ」の言い伝えは、微妙に地域差があるものの、全てに共通するのは、彼女たちは、山や森に住み、歌と踊りをこよなく愛する乙女であること。

また、伝承によっては、水辺を好み、水中で泳いだり戯れたりといった姿も見られます。

このあたりは、ドヴォルザークのオペラでも有名な「ルサルカ」とも似ているかも。

 

↓コンスタンチン・マコフスキー作「ルサルカ」

 

 

↓1977年制作の映画版「ルサルカ」。冒頭で、妖精たちが、水辺で歌い踊る場面があります。

 

 

 

そして、最も重要な点は、彼女たちは、「早死にした若い乙女たちの魂が、生前に住み、亡くなった場所の近くの土地に戻り、さまよっているもの」であること。

 

この「早死にする」ということが意味することを、考古学者のエリザベス・ジェーン・ウェイランド・バーバーは次のように指摘しています。

「早死にするということは、この乙女たちは、その家系を継ぐ娘として生まれたものの、自身は、母親になれなかったということである。つまり、彼女たちは、誰の祖先となることもなく、現世で生きる者との関わりも持たない。そのため、生きている者たちも、亡くなった母親、父親、祖父母のように、自分の家族を見守ってくれるよう、この乙女たちの霊に頼ることはない。更に、もし彼女たちが、不幸な亡くなり方をした場合、その霊は、恨みをもっており、悪事を働くようになる。」

 

かつてヨーロッパでは、キリスト教の影響から、「処女性」「独身」「禁欲」といったことが重要視されていました。

結婚については、家柄や財力、政治といった要因も影響したものの、若い男女が、性的に惹かれ合い、関係をもつこと自体が罪であるとする考え方が主流だったのです。

(男女の関係は、子供を残すことが目的であったため、それ以外の行為は全て罪であるとの教義が一般的でした。)

 

↓毎回Wikipediaを使用して恐縮ですが、こちらの記事によくまとまっています。

 

 

女性は、嫁ぐまでは男性と関係を持たないこと、結婚してからは、夫に誠実に仕え、貞淑を守ることが一番の務めでした。

また、自分の妻に貞淑を守らせることは、男性側の重要な役割であるともされていました。

ペローやグリムの童話でも知られる「青ひげ公」の話も、女性の好奇心や不従順を非難する教訓であるとの見方があります。

 

 

そして、婚前交渉や非嫡出子を身ごもるといったことで、貞淑の務めを果たせなかった女性は、死後の世界でも罰せられるという考え方がありました。

彼女たちは、社会的に罰せられると同時に、仮に早死にした場合、その魂は、天国へ迎え入れられることはなく、永遠に地上をさまよい続け、人々に悪事を働くと信じられてきました。

 

一方、「ヴィーラ」の言い伝えの全てが悲劇的で、救われない魂を描いているというわけではなく、早逝した魂が、地上へと戻り、自然の守り神として、豊作をもたらすといった見方もあるそうです。

 

これらの「ヴィーラ」にまつわる言い伝えで、ハイネが書いた記述に最も近いとされるのが、ブルガリアやスロバキアに伝わる「サモヴィーラ( Samovila)」。

ブルガリアでは、キリスト教の洗礼の儀式を受けないまま亡くなった乙女たち、そしてスロバキアでは、結婚前に亡くなった乙女たちの魂が、地上をさまよっているものといわれています。

また、ポーランドでは、美しいが軽薄な乙女たちが、死後に罰として、地上と天上の境をさまよっているという言い伝えがあるとか。

彼女たちは、生前、自らに優しくしてくれた人々には親切な一方で、不当な扱いをした人々には、悪事を働くとされています。

 

 

美しくも冷たいウィリたちは、貞淑と多産を求められ、その道から外れた時には社会的制裁を受けた、かつての女性たちの宿命から生まれたといえるかもしれません。

ウィリーたちの踊りには男性を死へ至らしめる魔力がありますが、彼女たちもまた、社会的な役割に束縛され、ウィリという宿命から逃げられないのです。

 

 

参考HP