バレエ界で12月といえば、勿論「くるみ割り人形」の季節。

世界中のバレエ団が、それぞれ趣向を凝らした演出で、各地のバレエファンを楽しませてくれます。

 

バレエ雑学シリーズ、今回は名作「くるみ割り人形」に隠された雑学をご紹介していきます。

 

第1回は、作中で最も有名ともいえる、「花のワルツ」にまつわる豆知識をご紹介します。

チャイコフスキーの華麗な楽曲に合わせて、色とりどりの衣装をまとったダンサーたちが繰り広げる名場面ですが、これらが「何の花」であるか、考えてみたことはありますか?

 

 

 

 

ピンク色の衣装のことが多いですし、英国ロイヤルバレエで上演されるピーター・ライト版では、ソリストの役名が「ローズ・フェアリー」となっているくらいですから、薔薇をイメージされる方も多いのではないでしょうか?

 

実は、初演時の演出では、この「花のワルツ」は、明確にある特定の花をイメージして創作されました。

そして、その裏側には、製作者たちの特別な想いが込められていたのです。

 

こちらが、1892年にマリインスキー劇場で上演された、初演版での「花のワルツ」の衣装デザイン。

24名のコール・ド・バレエ(群舞)と、8名のソリストが登場し花瓶に活けられた黄金色に輝く花を表現したといいます。

(ソリスト役には、帝室バレエの首席指導者クリスティアン・ヨハンソンの娘で、「フローラの目覚め」の初演でオーロラを演じたアンナ・ヨハンソン等が配役されていました。)

 

 

 

 

↓初演版を再現したベルリン国立バレエの公演より(注1)

 

 

(注1)ベルリン国立バレエでは、2021年より、中国の踊りをはじめとした一部の演出で、時代にそぐわない差別的表現がみられるとして、暫くの間「くるみ割り人形」を上演しない方針を発表しています。記事はこちら

 

 

衣装をご覧いただくと分かりやすいかと思いますが、当初「花のワルツ」は、マリーゴールドをイメージして創作されました。
実は、マリーゴールドが選ばれたのには、ある大切な人への想いがありました。
 
バレエ「くるみ割り人形」の製作を手掛けたプティパが、途中で病に倒れたため、弟子であるイワノフが引き継いだことは、多くの解説でも触れられています。
しかし、「くるみ割り人形」の製作過程で、もう1つの悲劇が、プティパを襲っていました。
1892年8月、プティパの娘エフゲニアが、15歳の若さで、病死してしまったのです。
 
プティパは、生涯で2度結婚しています。
 
一度目は、36歳の時で、相手はマリヤ・セルゲーエヴナ・スロフチコワ。
彼女は、帝室バレエ学校の生徒で、当時18歳の若さでした。
交際が始まった時は、学校の外で逢うことは、教師と生徒の関係上禁じられていましたが、校内で逢っていた2人の関係性については、黙認されていました。
 
↓最初の妻マリヤ・セルゲーエヴナ・スロフチコワ
 
マリヤの卒業後、2人は結婚、長女のマリー・プティパは、後に帝室バレエ(マリインスキーバレエ)のバレリーナとなり、「眠れる森の美女」初演では、リラの精を踊っています。
 
しかし、2人の結婚生活は、1867年に13年で終わりを告げます。
当時は、離婚の手続きが複雑であったため、正式には離婚手続きは行われなかったそうですが、事実上の離婚でした。
マリヤは、離別の15年後、天然痘でこの世を去りました。
 
プティパ2度目の結婚は、彼が64歳の時で、相手は36歳年下(!)のバレリーナ、リュボーフィ・レオニドワでした。
2人は、1874年から事実婚の状態でしたが、最初の妻マリヤが亡くなるまでは正式に結婚手続きができなかったため、1882年まで待つことになったのです。
まるで今の芸能人みたいな年の差婚😅
 
↓2人目の妻リュボーフィ・レオニドワ
 
2人の間には、6人の子供が生まれ、エフゲニアは、次女でした。
 
プティパは、ステージママならぬステージパパであったようで、自分の娘が芸術の道で華開くことを願い、彼女たちが幼い頃から、自宅で自らバレエを教えていました。
相手が娘であっても、バレエのことになると、容赦なく批判し、リュボーフィとの間の長女ナディアは、「テクニックが弱い」とボロカスに言われ、よく父と対立したそうです。
(プティパの娘で最も才能なしとされた彼女ですが、帝室バレエのバレリーナとなっています。)
 
対照的に、プティパの娘で最も才能があるとされていたのが、エフゲニアでした。
プティパ自身、エフゲニアの優れたテクニックと表現力があれば、バレリーナとして成功するキャリアを歩めると期待をかけていたといいます。
ところが、そのエフゲニアが、1892年、肉腫(サルコーマ)と診断されてしまいます。
バレリーナにとって生命ともいえる脚を切断する手段を選んだものの、効果はなく、その年の8月26日に15歳の生涯を終えました。
 
プティパは、愛する娘の死に打ちひしがれ、自宅のバレエスタジオも取り壊し、三女と四女は帝室バレエ学校へ入学させます。
娘を失ったショックも大きかったのか、彼自身がその翌月に体調を崩し、「くるみ割り人形」の製作を降板、バレエは弟子イワノフとチェケッティが指揮をとって初演にこぎつけました。
 
そして、エフゲニアがこの世を去った時、プティパの自宅の庭に突然マリーゴールドが育ったといいます。
このマリーゴールドこそ、悲劇的な死を遂げたエフゲニアの魂に違いないと考えた製作者たちは、「くるみ割り人形」で最も華やかなワルツのイメージとして、マリーゴールドを選びました。
初演の「花のワルツ」で舞台を彩った黄金の花、それは、プティパの愛娘へ捧げる、製作者たちの弔いの気持ちが込められたものだったのです。
 
この特別な想いが込められた「花のワルツ」ですが、初演時は、大絶賛を浴びた「雪のワルツ」ほどは評判が良くありませんでした。
その後、黄金の花瓶は登場しなくなり、群舞は24名から16名へ、ソリストは8名から6名へ縮小されます。
また、バージョンによっては、ソリストは登場せず、群舞だけで踊られるもの、バランシン版やピーター・ライト版では、1名の女性ソリストが登場するものもあり、初演時の面影を留める「花のワルツ」は、ほぼありません。
 

↓ニューヨーク・シティ・バレエ団のバランシン版 ソリスト(Dewdrop)はアシュレイ・ボーダー

 

↓英国ロイヤルバレエのピーター・ライト版 ソリスト(Rose Fairy)は、崔由姫

 

衣装も、多くのバージョンではピンクが用いられていますが、パリオペラ座バレエのヌレエフ版では、黄金の大広間を背景として、ゴールドをまとった群舞が踊りを披露します。

小学生で初めてヌレエフ版を観た時、「フランスでは、花のワルツにゴールドを使うのか!」と衝撃的で、今でも覚えているのですが、初演時のイメージには、これが近かったのですね。

 

↓パリオペラ座バレエより 花のワルツは2分過ぎから

 

↓2022年、スカラ座で上演された際は、オレンジ色。これはこれでマリーゴールドみたいですね。

 

また、チャイコフスキー自身、「くるみ割り人形」を1891年に亡くなった妹のアレクサンドラへ捧げたといわれており、それが特に後半のパ・ド・ドゥの「下降の旋律」にそれが表れているとされています。

 

 

「くるみ割り人形」が、どこか寂しく、でも心満たされるバレエに仕上がっているのは、製作者たちの愛する家族への想いが込められているかもしれないですね。

 

 

参考HP

 

 

↓学生のコラムですが、「くるみ割り人形」はチャイコフスキー自身の妹との想い出、という見方が書かれていて興味深いです。

1幕のパーティーは、子供時代のクリスマス、雪のワルツは2人で過ごした最後のクリスマス、そして旅をするクララはチャイコフスキー自身と。