最近は、何やかやと元夫とのやり取りが増え、

先日は「僕が脳梗塞になったのは何年だっけ?」と聞いてきた。

 

何でも、今住んでいる地元で

彼が抱える障害の当事者と家族の会ができたそうで、

ケアマネの紹介で今月の例会に参加する、

そこで自己紹介をしないといけないから、ということでした。

 

一緒に暮らしていた頃、

こちらの地元にある家族会を私が見つけ、

当初は私が1人で通い、途中から一緒に行き、

離婚に伴って今は彼が1人で通っています。

そこの代表の方は、

今も何かにつけ私に連絡して彼の様子を教えてくれたり、

私のことを気にかけてお茶や食事に誘ってくれたりします。

 

彼の住まいからはかなり遠くなってしまったのに、

いまだにそこに通い続けているのが不思議。

私が一緒に行ってた頃は

他の人の話に興味を示す様子でもなく、

居眠りするなど、失礼極まりない態度だったから。

脳が疲れやすいことはわかってるけど、

それは周りもみな同じだろうし、

無理やり連れて行ってたわけじゃないのに。

 

同じ障害を抱える仲間と情報や悩みを分かち合い、

支え合いたいっていう謙虚さは彼にはない。

私としては、他者の話に映し出される障害の様子を通して

自分のことを客観的に捉えられる機会がある方がいいと思ってるから、

あえて「何のために行ってるの?」とは聞かないけど。

 

地元に会ができるなら、そっちの方が通うのも楽だろうし、

これまでのところはやめるんだろうと思ったけど

「いや、しばらくは両方行く。

今までの会は毎月、梨田さん(代表者)から連絡があり

来ますかって聞かれるから」と。ようわからん。

 

それはともかくー。

「僕が倒れたのは何年だっけ」だって…。

私と息子にとって、2018年●月●日は自分の人生が暗転しだした日として

忘れようにも忘れられないというのに。

私なんて、人と話したり何かを読んだりして

何らかの年や月が出てきたら、

自分には関係ない出来事であっても、つい

「あの日」の前なのか、後なのかという基準で捉えてしまう。

紀元前/紀元後のように(笑)。

「あの日」に対して感じる重さの、これほどの落差。

 

そう言えば離婚前の彼は

ある年も、その前年もさらにその前の年も、

人にはずーっと「僕、3年前に脳梗塞で倒れたんですよ」って言ってたな。

いつまでたっても歳を重ねないカツオやタラちゃんのごとし(笑)。

 

さて、地元の当事者会デビュー、どうだったかな。

今度聞いてみよう。