昨日、障害の家族会(+当事者会)会長の梨田さんに会ったから、

久しぶりにこの障害、後遺症について考え込んでしまいました。

 

元夫が4年前に倒れて2カ月間、急性期で入院している間、

転院前の最終盤まで

この障害の名前は病院側からほとんど出ませんでした。

私が気にかけたのはひたすら左半身の麻痺がどこまで回復するか、だけでした。

 

そこに入院中は

意識混濁でずっと眠った状態から

→覚醒する

→立ち上がる、歩く、のリハビリ

→指先を使うリハビリ

一方、食事の方は

点滴→流動食→徐々に固形物

と進みました。

…やだ、元夫が装具を付けて初めてベッドから立ち上がった時、

私の介助で初めて口から食べた時の感激を思い出したら涙が…。

 

さすがのぐうたら旦那も、

歩くとか、一応手を使えるところまでのリハビリはちゃんとやりました。

というか、転院先でも、そして退院後も同じだったけど

「さあ、○○さん、リハビリの時間ですよ」とスタッフが病室に迎えに来たり

家にやってきたりすれば、やるんです。やったんです。

それ以外の自発的努力は一切なし。人まかせ。

 

あっという間に杖を使って歩けるようになったし、

完全に元通りになるかも、と私は明るい気持ちで転院先を検討しました。

 

でも、退院間近のある日、言語聴覚士との立ち話で

「まだはっきりしないけど

多少、脳に障害があるかもしれませんね。

でもまあ、ご主人の場合は病識もちゃんとあって

リハビリしなきゃいけないって理解できてるから大丈夫ですよ。

病識がない患者さんだと、自分にはリハビリなんて必要ないと言って怒って

一切を拒否しちゃって大変なんですよ」と言われた。

 

後になってみれば、

自分の都合のいい場面では病気を持ち出して盾にし、

一方でリハビリはいらないと言い張る「最悪に質の悪い障害当事者」だった。

 

それから、転院先の選び方を教えてくれたケースワーカーが、

同じく脳梗塞で入院→転院していった人の例をいくつか紹介してくれた時、

「その障害の方は何年か後、残念なことに離婚しちゃったんですよ」と言って

とてもびっくりした。

命にかかわるような大病をして、

後遺症による障害がある旦那さんと

どうやったら離婚なんてことになり得るんだろう。

私の場合、彼が生きててくれるだけでありがたいし

毎日顔を見に来ないと不安で不安で生きた心地がしないのに…と思ったものでした。

可愛いかったなあ、自分。

まさか、たった4年で自分も同じ道を歩むとは(笑)。

でも、今の私には言えます。

当事者でないと絶対に、あの辛さはわからない、と。

 

後から考えると

確かに、そこでの入院時から「小さな変化」は起きていました。

 

私がいない時にお見舞いに来てくれた彼の元同僚が

千疋屋のゼリーのセットを「奥さんとお子さんに」と言ってくださったそうです。

居合わせた看護師が「あら美味しそうですね」とお愛想を言ったら

元夫が「よかったら皆さんでどうぞ」と、元同僚の目の前であげちゃったと。

受け取った次の瞬間に、ですよ。

私はいつものように仕事帰りに面会に行って本人からその話を聞いて

青くなりました。

あまりに申し訳なくて。

 

帰ってすぐお詫びの電話を入れ、

看護師も断るのが気が引けて受け取っただけだと思う、

小学生の子供がいることもみな知ってるし、

明日行ったら食べずに取っておいてくれてると思うから

返してもらってごちそうになりますね、と。

でも、ゼリーはしっかり食べられていました😿

 

人の気持ちがわからない、

若いお姉ちゃんに愛想をふりまく、

元々そういうとこ多少はあったけど、

そこが尖って出てくるようになった最初の出来事でした。

 

元夫はそこから、

「最悪に質の悪い障害当事者」へと続く坂道を

ひたすら転げ落ちていったのです。ちーん。