私は決して強い人間じゃないし、

しっかりと前だけを向いているわけではありません。

 

幸せだった頃の思い出、まともで家族を大切にしてくれた頃の元夫の記憶にとらわれ、

ぐずぐずと気持ちが湿る日もあります。

でも、「まあしよーがない」と現実に戻って

さて晩ご飯作ろうとか、読みかけの本に手を伸ばすとか、

現実に戻るまでの時間は明らかに短くなってきました。

そうやって少しずつ前に進めばいいんだと思っています。

 

連休の時はちょっと淋しい。

かつては夫が勝手に旅行のプランを立てていたり、

当日の朝、「さあ、どこ行こう」と選択肢を並べてくれたりして

遠出するのが当たり前でした。

運転が好きで、長距離ドライブも全然苦にしなかったので

いろんなところに行きました。

私は大小いろんな旅をFacebookに投稿していたので、

今も日々、「●年前の今日の思い出」を見せつけられて結構つらい😿。

 

4年前のこの連休は、最後となった遠出、

茨城での栗拾いの思い出をまたもFacebookが連れてきてしまいました。

元夫が脳梗塞で倒れたのは、その3週間後。

倒れる前日も浦安であった息子のラグビーの試合に車で行ったけど、

やっぱり「家族の最後のイベント」といえばあの栗拾い。

 

でもあの時、元夫の脳内ではすでに、血管の詰まりが徐々に進行していたんだなあ。

 

息子にとってこの栗拾いがすごく楽しかったらしく、

「毎年来たい!」とはしゃぎ、

父親が倒れた後も「栗拾い、また行きたかったなぁ」と何度も言ってきました。

私も運転ができないわけではなく、

日々の買い物や

元夫の病院、障害の家族会などは私の運転で行ってましたが、

怖くて都会の高速には乗れないので遠出は無理なんです。

 

 

 

栗拾いの後、訪れるのは何度目かとなる田んぼの中のお蕎麦屋さんで

きのこの天ぷらとノンアルコールビールでお昼。

美味しかったなあ。

 

 

 

 

 

 

私と息子にとっては大切な最後の思い出なんだけど、

元夫からあの栗拾いの話が出ることは全くなく、

毎年恒例になっていた八ヶ岳でのホタル見物や越後湯沢でのスキー、

それぞれの実家への帰省などと違い、

記憶にとどまっていないんだろうなぁ。

そのことも淋しかった。

 

元夫はホタル見物にはすごく執着していて、

倒れた後も「行こうよ」としつこく誘ってきたけれど、

そのために再び自分で運転できるようになりたい、とか

それには障害改善のために集中力、瞬時の判断力を鍛えるリハビリ

(スタッフから勧められた知育玩具やパソコン用ソフト、ドリルなど山ほどそろえました)を

やらなきゃという気持ちには全くなってくれませんでした。

いつも「快楽」だけを求め、

それを手に入れるための我慢、努力には背を向ける。

「リハビリなんてくだらない」「僕には必要ない」「お前はリハビリ教信者か?」と

言い放っていました。

辛かった、悲しかった。淋しかった。

 

「3人でまだまだ楽しいことたくさんしたいから頑張るよ」と言ってほしかった。

私と息子はいくらでも伴走するつもりだったのに。

結果的に身体や脳の機能が改善しなくても、

頑張ったことに敬意を払って車椅子を押したり肩を貸したりして支え、

どこにだって飛行機や電車で行き、

楽しいこともしんどいことも分かち合う用意があったのに。

息子も同じ気持ちだったのに。

 

この4年間で息子は小5から中3になり、

普通なら一生経験しなくて済むような酷い場面を繰り返し目の当たりにし、

たくさん葛藤し、

思春期を迎え、親と一緒に出かけることに対する興味はほとんど薄れました。

それでも、私への思いやりで

「お母さんと●●に行ってみたい」とか言ってくれます。

 

この連休は2人で初の東北旅をと思ったのだけど、

動きだすのが遅すぎて、宿も新幹線も全然空きがない😒

でも台風接近で天気も悪く、「ふん、予約しなくてよかったわ」と強がってます(笑)

 

代わりに10月、中間テストが終わった後、群馬の温泉宿を予約しました。

息子が生まれる前に夫婦で行った、貸し切り露天風呂がたくさんある宿。

コロナが落ち着いてきて、政府の旅行支援も始まるみたいだし、ラッキー❤

温泉好きの息子、気に入ってくれるかな?

 

そして、ホタル見物や栗拾いは

「カオルが18歳になったらすぐ車の免許とって、

お母さんを連れて行ってよ。

何ならカオルのカノジョも一緒に行こう」と言ってて

息子も「任せて!」と言ってくれますが、

大丈夫、カノジョと一緒はないとわかってます。

老いた母が息子の幸せの邪魔をするつもりはありません(笑)