障害は夫からさまざまな能力を奪い、
人格も一変させてしまった。
家族会に行った時に、私と同世代くらいの奥さんが
「主人は元は頑固で傲慢なところがあったけど、
障害のせいで私を頼りにするようになってからは
素直で穏やかで、今の方がよっぽど楽」と言っていて、とてもうらやましかった。
暴言・暴力やひがみぽさ、エロ狂い、怠惰さなど
夫のネガティブな面と悪口は散々書いてきたので、
今日は元はどんな人だったかを書いてみます。
今の夫との落差で自分の悲しみの深さをあらためて思い、涙するために(笑)
私達はバツイチ同士の再婚。
少なくとも私の方は夫に対して過度の期待はせず、
多少のことは我慢して平和に暮らしていければいいと思っていた。
が、夫は「私にはもったいない」と思えるくらい良いパートナーだった。
明るく優しくて穏やかで、独特のユーモアがある。
人が好きでコミュニケーションが上手なので
友達が多く、私の友達やママ友からも好かれた。
忘れられない出来事をいくつかー。
①
私は夫と出会う前は軽度の鬱を繰り返していた。
結婚直後、幸せいっぱいだったのに
彼のマンションに越したら通勤時間が大幅に長くなって心身がしんどく、
家のことを頑張りたいという気持ちとの綱引きで鬱が再発、
会社に行けなくなってしまった。
鬱とは無縁で、身近で当事者を見たこともなかった彼は
「大丈夫、僕と結婚したらもう鬱にはならないよ」と言っていたからショックだったと思う。
でも、動揺を見せることもなく静かに見守って支えてくれた。
関連の本も読んでいるようだった。
「家事はしなくていい、僕がやるし、やらなくていいこともたくさんあるんだから」と
言った。
朝、起きることもできない私の側で身支度を整え、
私のためにCDを選んでかけてくれ、
静かに「行ってくるよ。なるべく早く帰ってくるからね」と声をかけて出ていった。
クラシック音楽が好きで何百枚もCDを持っている夫がかけてくれたのは、
泉か何かの水が滴り落ちる音だけを収めたものだった。
心にしみ込んでくるような静かな音を聞きながら布団の中で泣き、
「これからは鬱になってもこんなふうに守ってもらえる、大丈夫」と思えた。
その後の20年近く、会社に行けなくなるほどの鬱は再発していない。
その鬱の回復期、夫は「引っ越そう」と言って
次々に物件を見つけてきた。
私の体調がいい時には一緒に見に行った。
5件目くらいで決めた今のマンションは、
私がどうしても家から出られなくて彼が一人で見に行き、
「見晴らしがよくてとても気持ちがいい部屋だから
鬱になってものんびりして回復できると思う。
来週一緒に見に行こうよ」と言ってくれたところだ。
②
息子が生まれる前に2度の初期流産を経験している。
1回目は妊娠2カ月、夜間に自宅で大出血して救急車を呼んだ。
救急の人が搬送前の処置をする間、
意識が遠のく私に「Daiちゃん(Daisy=私)!、Daiちゃん!」と
懸命に呼びかけてくれた。
結局、病院に運ばれた時にはもうダメで、
カーテンで仕切られただけの処置用のベッドで2時間ほど点滴を受けてから帰ることに。
ひとしきり泣いて落ち着いた私の手を夫はずっと握ってくれたけど、
慰めもしなければ自分の悲嘆も一切言わず、
ひたすらいつもの軽薄でたわいない雑談を続けた。
深夜の病院だから静かな口調で。
何となくそれに救われ、適当に相槌を打ちながら聞いていた。
隣のベッドからは、恐らく発熱したのであろう子どもに看護師が
「ポカリ飲める?」と聞いていたのを覚えている。
静かに続く夫のアホ話を聞いていた私は最後のほう、
同じく静かに、でも確かに声を出してくすくす笑っていたのだ。
どんな話だったのかは覚えていない。
でも、その時点では人生最悪の不幸と思える出来事の中で、私、笑っていた。
「ああ、私はこの人とずっと生きていくんだな。
こんなにつらいことがあっても、この人がいてくれたら笑えるんだ。
出会えてよかったなあ」と思いながら点滴の残りを見ていた。
……何だよ、めちゃくちゃいい奴で素敵じゃないか、私の旦那・・・。
どう考えても幸せ者じゃないの、私。
やっぱり私がダメな人間なの?
こんなに素敵で大好きだった人なら、
ここまでの破綻に至る前に、私がもっと我慢して頑張るべきだったの?
鬱で何もできない私を受け入れ支えてくれたように、
麻痺があり、高次脳機能障害で感情のコントロールができない夫を
ありのままに受け入れて見守るべきだったのか?
そんな思いがけない帰結はいやだーー(笑)
ちょっとしんみり、そしてわからなくなってしまった。
だから今日はおしまい。
「夫はこんな人だった」シリーズ、また書きます。
先々週、家族で行った初詣のおみくじ、