2018年12月にリハビリ専門病院に転院してから、

夫に失望することが増えた。

最初の病院に比べると自宅から遠かったこともあり、

面会に行く頻度は、それまでの「毎日」から「週3回前後」に減った。

それでも十分多いよね、甘いよね、私(笑)。

 

最初の病院では毎回、病室に着いて夫の顔を見るまで

「元気にしていますように。起きててくれますように(当初、ずっと眠っていて不安だったため)」と祈っていたが、

リハビリ病院では

「今日はゴロゴロしている姿を見なくて済みますように。

脳トレのドリルか、左手のリハビリをやっててくれますように」と祈った。

そんな期待はほぼ毎回、裏切られた。

 

元々、モノを買うのが大好きな夫は、

やる気もないくせにいろんなリハビリグッズを要求した。

 

スタッフから借りたというこういうのを見せて、

「作業療法士の〇〇さんから、こういうの使うといいって教えてもらった。

100均にも売ってるらしいから今度買ってきてよ」。

やっとやる気を出してくれたのかな?と思って喜び、

毎回すぐに買いに行って届けた。

すると、「サンキュー」と言って一瞬、にぎにぎして見せるのだけど、

15秒もすると興味を失って放りだし、

その後は使っているところを見ることはなかった。

部屋の隅に投げ出され、いつもベッドに寝転がってスマホをのぞいている。

 

「ゴルフボールを手のひらで転がすと指の動きが回復するんだって。
テレビ見ながらでもできるしね」と言われれば、
ドン・キホーテでまとめて売っている中古のボールを買って、

重い袋を抱えて車に運んだ。

夫に持って行った後のボールの末路は同じ。

家に残った山ほどのボールを見るたび腹立たしかった。

 

病室用のパソコンを買い、
言語聴覚士から勧められたという脳トレドリルをAmazonで自分で買った時は、
間違えて同じものを3冊も注文していた
(退院してからも同じような失敗を繰り返し、注文を禁止した)。
1冊は「ボケたら子どもや孫に迷惑をかけるから」と言って

日々、脳トレに励む意識高い系の私の父に送ったら
1週間でコンプリートしたと報告してきた。
当の夫は、2日やったら挫折してほとんど真っ白のまま、放置。
残り1冊はいつか私がやろうと思って取ってある。
 

放置されたグッズやドリルを指して

「自分で買ってきてと言ったんだからちゃんとやってよ」と言うと

「わかってるよ」と生返事。

このやりとりが繰り返され、私は次第にイライラ、

夫は「僕には効果なさそうだから持って帰って」などと言い出す。

 

あれこれ買ってこいと言われなければ

あそこまでストレスはたまらなかったかもしれないけれど。

 

最初のうちはやんわりと、次第にイライラを隠さず

「もっとまじめにリハビリをして。

そのために高い個室代を払ってここにいるわけだし、

私が会社の仕事と家事、カオルの学校や中学受験のこと、

そしてあなたのこと(様々なリクエストへの対応や

会社の上司との連絡、お見舞いへの対応など、本当に忙しかった)を

一人で頑張ってやっているのも、

あなたに良くなってほしいと思っているからなのに」と言うようになった。

 

左手の指がうまく使えず、シャツの右袖のボタンを自分で留められない夫に

「毎日練習して留められるようになってちょうだい。

私がいる時は一緒にやるから。

頑張って、それでも結果的にできるようにならないなら仕方ないよ。

その時は、退院して帰ってきたら私とカオルが毎日留めてあげる。

だけど、良くなるための努力もせずに帰ってきたら、

私達は絶対に何もしない。

支えてなんかあげない」と繰り返し言った。

 

はいはいと仕方なさそうにやることもあったけど、

一人の時にやることは皆無。

(結局、今もワイシャツの袖のボタンは私が留めている…)

 

うるさいなあ、病気なんだから仕方ないだろ、

こっちは好きで脳梗塞になった訳じゃないんだ、

病気になったことがそんなに許せないのか―。

言い争うことが増えた。

まるで、周りに気をつかわず

遠慮なく言葉をぶつけ合うために個室にいるみたいだった。

 

その頃はネットで障害について調べるようになっていて、

この病気のせいで無気力になっている面もあることは理解していた。

でも、彼が倒れる前も15年間一緒に暮らしていたのだ。

病気のせいだけじゃないことは、私にはよくわかっていた。

この人、この先も病気を言い訳にして

私と子どもにおぶさって生きていくつもりなのか?

失望、憤り、悲しさ、子どもに対する申し訳なさ、

いろんな気持ちがないまぜになって日々、暗い気持ちになっていった。

喧嘩をして病室を後にすることも増えた。