7月11日月曜日、高野山奥之院にお参りしたときの記録です。
数回に分けて書く予定です。
今回、高野山奥之院にお参りした目的は次の通りです。
① 納骨(小さい方)
② 読経法要(1年間)
③ 位牌の開眼
兵庫県明石市の自宅を出たのが午前4時40分。
少し早すぎたかなと思い、駐車場でしばらく待機。
バッグの中には、お骨と位牌。
母親がいつも座っていた席にお骨の入ったバッグを!
母親と一緒に車に乗るのはこれが最後か・・・
部屋を出る直前、新しいマスクを取ろうとしたら、箱には母親の名前が!
最後の入院をしたとき、病院に持って行ったマスク箱だったのか。。。
色々な思いを胸に出発!
往路は次の通りです。
高野山まで予定通りでした!
高野山駅に到着すると、奥之院行きのバスが待機していました。
直に乗り込み、数分後に出発。
バスの運賃は「高野山駅-奥之院前」420円也・・・と高め!
奥之院前バス停で下車して、御廟への近道である中の橋コースを足早に進みました。
上の写真を撮影したのが9時37分!
大名家のお墓に気を取られることなく、ひたすら前進!
御廟橋到着は9時46分でした。
家を出てちょうど5時間!
奥之院燈籠堂での手続きや供養に掛かる時間を考えると、やはりトイレに行く方が良いと判断。
ここで右側に折れて前進。
すぐにトイレが有りましたよ。
足早に移動したため、燈籠堂到着は9時50分頃です。
写真撮影は御廟橋の手前までです。
御廟橋から先は撮影NGです。
アップする写真は、ネットからの拝借画像です。
燈籠堂に入りますと、右前にお坊さんが座った受付があります。
ここで、納骨・読経供養・位牌開眼の希望を伝えます。
お坊さんから1枚の紙を渡されました。
申込書になります。
「納骨(分骨)申込書」とあります。
この申込書に次の事を記入します。
・申込者氏名
・住所・電話番号
・故人の戒名(法名)・俗名、命日、行年(数え年)
・性別に〇を
申込者氏名・戒名(法名)・俗名には、“ フリガナ ” を書くようになっています。
供養の時に申込者・戒名(法名)・俗名を読み上げてくれます!
高野山奥之院での供養は、宗旨宗派を問いません。
我が家は浄土真宗ですから戒名ではなく法名となります。
(法名)と有るのを見て、キチンと対応してくれていると感じホッとしました。
申込書記入が終わると再びお坊さんの受付へ!
卒塔婆の様な紙に、申込書に記入したことをチェックしながら書いてくれます。
この時に再び読経供養1年間・位牌開眼を伝えました。
申込書備考欄に「供養」とあり、その下に壱ヶ年間と記入してくれました。
三宝を出してくれますから、そこにお骨と位牌を置きます。
その時に、供養が終わると位牌を渡すので、「中の場所」に留まるよう言われました。
そして供養に必要なお金を渡します!
納骨10万円、読経供養1ヶ年10万円、位牌開眼供養料1万円の計21万円也。
納骨供養料には一座読経が含まれます。
つまり、申し込んだその日その時の読経料込です。
読経供養には、一座・六ヶ月間・一ヶ年間の供養があります。
それぞれ、1万円・5万円・10万円となります。
自分が申し込んだのは読経供養1ヵ年間です。
1ヵ年の内容はと言いますと・・・
毎月命日に高野山の一番偉いお坊さんが、名前を読み上げてお経をあげてくれる。
母親の場合、2月1日が命日ですから、翌月の8月1日に始まり、毎月1日に、1年間ということになります。
納骨堂にお骨が安置されるのは1年前後。
一杯になり次第、空海さんの近くに移され自然に帰ることになります。
納骨堂や空海さんの前では、お坊さんが毎日お経をあげているので、納骨堂・空海さんの側に行っても供養され続けることになります。
受付が終わると移動します!
移動する場所は、供養終了後に位牌を渡すのでその場に留まるよう言われた「外陣」です!
燈籠堂内の端っこ、お守り・御札の授与所横から入ります!
次の画像は燈籠堂内、ネット拝借画像です。
自分が着座したのは、上の画像の水色の服を着た人がいる所!
現在、コロナのため外陣内では、密を避けるため区画が作られています。
区画の柵に番号が貼られています。
受付で示された自分の受付番号は2番でした。
2番は水色の服の人の所!
1番受付の人は、水色服の人の左側の人の場所です。
焼香台のすぐ前でした!
1番と2番の区画が中央を占有しています!
1番の人曰く「一番ええ場所や!」。
確かに2番より少し多く中央を占有している感じです。
しかし、供養が始まると同時に2番で最高に幸せだと思うことが起きたのです!
続きは、次回の灯籠堂内供養編で!