私の知り合いに、怖いから死にたくないという人がいます。

私ときたらそんなに、死にたくない!とは思わないです。死んでもいい、と思っています。‘‘今すぐ死にたい‘‘はないですけど。だって生き物は死ぬものだと思っているし、死なない人間を私は見たことがないです。死なない人間は人間とは言わないのかもしれません。死ぬのが人間とも思っています。

 

化学系の工場で働いていたことがあって、化学実験みたいなことを仕事にしていましたが、私には化学の知識なんてほぼありません。

私にわかるのはせいぜい、陽子と中性子の原子核とその周りをまわっている電子からできている原子というものが、物質を作っているもとだって言うことくらいです。

人間の体のもとは細胞というものだということですが、その細胞のもとも原子です。

 

生きている間は、原子でできた細胞を使って肉体を維持しいろんなことをしているけれど、死んだら維持できなくなって細胞はバラバラになってしまうと思います。

土に戻るっていうことかなと思います。

私が死ねば、私の肉体はきっとバラバラになって、小さく分解されて原子に戻っていくのかなと思っています。

 

魂とか霊とか、精神とか心とか、そういうものは何だろうと考えたとき、私にはわかりません。生きている人間にどうしてそういうものがあるのか、魂とか精神とかは肉体とは別のものなのか、一体のものなのか。

あるとき養老孟子先生の何かの本を読んでいるとき、感情は情報だというようなことが書いてありました。情報を記憶している?だったかな。いかに浅い読み方しかしていないのかがわかります。

 

記憶ってなんだろう?情報?

私という個体が生き延びるための情報を記憶としてもっている?

危険に遭遇した時、その情報が私をいやな気分にして、その状況から離れるようにするもの。またはその状況を回避するもの。

いろいろ本を読んでみたりしますが、まあ私にはわかりません。

 

でも私は、私を作っている細胞の一つ一つが記憶を持っていて、それが私の心のもとになっているんじゃないかと考えました。もしかしたら、細胞のもとになっている原子にも記憶とか情報があるのかもしれないと思いました。そういう一つ一つの細胞や原子が、総合的な私を作っているんだと勝手に思います。

 

小さな原子というつぶつぶたちが、私を作ろうとして作った。どうして私を作ったんだろう。こんなに自由に動く肉体をどうすればいいんだろう。つぶつぶたちは私を作って何をしたいんだろう。

きっと私に何かをやらせようとしているのかもしれないと思いました。

 

それとたくさんのことを知るためじゃないかと思いました。

天気のいい日に自由に体を動かして散歩するのはとてもいい気分で楽しいこと、だとか、美しい音楽を聴いたり、絵や風景を見たら感動するあの感覚とか、おいしいものを食べたとき幸せな気分になることとか。

一人ぼっちでいると寂しいとか、誰かに誤解されたり相手にされなかったとき悲しいとか。自分が経験しうるたくさんの知識と気持ち。

 

私がたくさんの知識を得て経験をすることで、つぶつぶたちもたくさんの情報や記憶を得ることができるのではないでしょうか。私を含め多くの人間たちの情報と記憶はいったいどうなるんでしょう。

 

ときどきこんなしようもないことを考えています。

私の命といっても、常に変化しているもので、自然の一部だと思っています。

テレビのクイズ番組のクイズに答えるため(だけではありませんが)、わたしはもっといろいろなことを勉強して知りたいと思っています。